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日刊サイゾー トップ  > 【東日本大震災から2年】東北の人々が抱える「被災者」と「被災地」の呪縛

【東日本大震災から2年】東北の人々が抱える「被災者」と「被災地」の呪縛

 筆者が現地で出会った人の中には、支援を受ける対象として、「被害者」であることを求められているような気がすると明言する人もいた。こうしたことからも、無言のプレッシャーとして同調圧力がかかっているのが見て取れる。

 ここで注意したいのは、特定の人物による圧力ではなく、漠然とした日本国内を取り巻く空気が追い詰めているということなのだ。不確定な要素によるプレッシャーなど気にしなければいい、という見方もできるだろう。しかし、口下手な東北人の気質なのかもしれないが、「被災して支援を受けた」ことに対して背負うべき十字架なのだとの思いがある。

 震災直後から現在に至るまで、日本国内のみならず世界中からの援助があって生き延びることができたのは、まぎれもない事実である。その当時は感謝することしかできなかった。しかし、現在では援助に報いる必要を各々が感じているのだ。そうした心情の変化が、今になって援助された側に重くのしかかってきている。そして、それが呪縛となり、自らを「被災地」「被災者」と呼ばせてしまっているのだ。

 こうなった原因はあくまでも巨大地震と大津波という天災で、本人たちにはなんの非もない。それでも多くの人たちに助けられたという事実は彼らにのしかかっている。

 「被災者」「被災地」を自称しなくなったときに、本当の意味での復興が東北に訪れるのだろう。
(取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>)

最終更新:2023/01/26 19:01
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