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【東日本大震災から2年】東北の人々が抱える「被災者」と「被災地」の呪縛

■東北沿岸部を覆う呪縛の空気

 当然のことながら、「被災者」や「被災地」は、もとからあった呼び名ではない。そもそも被災地などという地名はないし、被災者などという人種も存在しない。震災発生後に自然発生的に呼ばれるようになったにすぎないのだ。

 「被災地」は岩手、宮城、福島といった県境をまたぐ名称として使われていた。同様に、震災で被害を受けた人たちのことをまとめて呼んだ名称が「被災者」なのである。

 ところが震災後1年が過ぎたあたりから、多くの住民たちが自ら「被災者」や「被災地」と称するようになった。それも県外の人間に対してではなく、地元の人間同士の会話でも使われるようになった。メディアが使う回数が増加するのに伴って、岩手、宮城、福島に暮らす人々も「被災者」「被災地」と自称するようになってきている。

 統計をとっているわけではないのだが、震災当初や2012年度には自らを「被災者」「被災地」と言う人はそれほど多くなかった。ところが昨年ころから、筆者の友人や親族も使うようになっていった。一体なぜ、そのような言い方をするのだろうか? 石巻に住む知人に理由を聞いてみたところ、意外な答えがかえってきた。

「最初は抵抗あったけど、言いやすいし、みんながそう呼ぶからね」

 ほかにも複数の知人に同じ質問をぶつけてみたが、一様に同じ答えが返ってきた。たしかにその通りなのだろう。みんなが使うから使うというのは不自然なことではない。だが、この答えに至る彼らの心理を読み解いていくと、震災後に見舞われた「呪縛」の存在が見えてくる。

 自分たちのことを「被災した住民」だったり「自分の暮らす街が震災の被害を受けた」などと称するのは、言い回しからしても面倒なことは間違いない。しかし、第三者がそう呼ぶことについては注意が必要である。

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