現実に追い抜かれそうな危惧もある――『機龍警察』月村了衛の世界観を生み出したもの
#インタビュー
――映画を見るだけではなく、やっぱり作家になる修業も続けていたのですか?
月村 そうですね。当時「小説現代」の新人賞に応募したりしていて、名前が載るところまではいったのですが、それ以上には至りませんでした。また文芸学科ですから、当然合間合間に課題でシナリオや短編小説を書いたり、卒業論文の代わりに長編小説を書いたりしました。授業の課題で書いた短編が「早稲田文学」の編集をやっていた文芸学科の平岡篤頼先生の目に留まって、呼ばれたんですよ。で、まあいろいろお言葉をいただきまして。大変光栄に思いました。その時に言われたのが「早熟である」と。また同時に「大衆文学的な気がする」とも言われまして。結局「早稲田文学」には載りませんでしたが。
――その時書かれたのは、どういう小説だったんですか?
月村 伊東一刀斎が夜の峠道で自分のドッペルゲンガーと出くわすという。何しろ敵は自分自身ですから、身動きもとれなくなって。自分自身を突きつめながら一晩を過ごして、夜が明けた時に、一刀流の極意である無想剣を会得しているという。今とまるで変わってませんね。
――ご自身の方向性は、どのように定めていたんでしょうか?
月村 学生時分は「超ロマン主義」などと、自分で標榜していたんですよ。あんまり恥ずかしいので、誰にも言わないまま、私の脳内で消滅しましたけど。で、若い頃は、もっぱら〈幻想文学〉って言っていたんですよ。というのは、純文学であるとか、SFであるとか、ミステリであるとか、そういった素晴らしいものを統括する上位概念として、そういう言葉がいいんじゃないかと思っていたんですが、近年、幻想文学という言葉が、さすがにやや限定的なニュアンスを帯びるようになってきましたんで、今現在は〈エンタテインメント〉と言ってます。もう自分にとっては「エンタテインメントでいいじゃないか!」と。「自分はこれでやっていこう」と。今はそういう気持ちでおります。
――卒業後は『ミスター味っ子』の脚本家としてデビューされました。冒頭で、脚本家になる気はなかったとおっしゃっていましたが、仕事が舞い込むようになってきた時は、どんなお気持ちだったんですか?
月村 それはもう「やる以上は全力でやる」と考えていました。引き受けた仕事には常に全力で取り組んできたと自信を持って言えますし、手がけてきた作品には今でも誇りを持っています。
――脚本のお仕事では『神秘の世界エルハザード』『少女革命ウテナ』『ノワール』と、さまざまなジャンルの作品に携わっていらっしゃいますよね。「このジャンルだから書けない」というのは、ご自身の中であまりないのですか?
月村 ないです。
――文学をずっと読んでいた、映画を見ていた積み重ねが大きいのでしょうか?
月村 かもしれませんね。取り組む時は、基本は同じなので、人間を描いていくという。そういう意味では、コメディでもアクションでも変わらないので、面白いのは、当時の私を「ハードボイルドの月村」と認識している人と、「温泉の月村」と認識している人とに完全に分かれるという。
――脚本の参加作品は、2006年発売の『円盤皇女ワるきゅーレ』OVA版が最後ですね。その後、2010年に小説家デビューとなったわけですが、出版社にはどのようにアプローチを?
月村 発表のアテもないのに書き始めまして、ツテのツテのツテを頼りまして、持ち込みをしていたんですよ。ですがまあ、なかなか厳しい時代ですので、決まらないままに作品がたまっていきまして。実は『機龍警察』は第2作なんです。第3作が『機忍兵零牙』で、第1作は『一刀流無想剣 斬』のほうなんですよ。何しろ一刀流には学生の頃から執念を燃やしていたので、それで長編第1作に選んだのです。それぞれ同時に持ち込みをしている状態だったので、刊行の順番が前後したということなんですね。
――脚本家としてはキャリアがあっても、小説家としては新人ですよね。それに、持ち込みを続ける間に、心が折れるようなことはなかったですか?
月村 そうなんですよ。自分には何もコネがないし、自分の周辺にそういうツテを持っている人がいないのも分かっていましたので、ツテのツテのツテを探してみてくれないかといろんな人にお願いして。幸いにも力になってくださった方が何人かいらっしゃって、その方々には大変感謝してます。おかげさまで、最初に『機龍警察』が早川書房で決まりまして、これでデビューということになりました。持ち込みをしている時に心が折れることはありませんでしたが、生活をどうしようかとは考えましたね。
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