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文学賞からランキング入りまで、久々に注目される日本SF

現実に追い抜かれそうな危惧もある――『機龍警察』月村了衛の世界観を生み出したもの

tsukimura.jpg月村了衛氏

 小説家・月村了衛氏。『機龍警察 自爆条項』(早川書房)で第33回日本SF大賞、『機龍警察 暗黒市場』(同)で第34回吉川英治文学新人賞を受賞、「このミステリーがすごい!」国内編第3位、「SFが読みたい!」国内編5位にもランクインと、今まさに「注目の作家」と呼ぶにふさわしい人物だ。だが、1963年生まれの彼の小説家デビューは、2010年に刊行されたシリーズ第1作『機龍警察』。小説家としては「遅咲き」と呼ばれるであろう彼は、テレビアニメ『ノワール』『円盤皇女ワるきゅーレ』などの作品で知られる脚本家であった。脚本家から小説家への転身ではない。当初からの夢を胸に秘めて与えられた仕事を全力でこなしてきた結果が、『機龍警察』シリーズ誕生へとつながったのだ。今回、月村氏の人物像に焦点を当てて、希望が結実するまでの道程、そしてこれからを聞いた。

――月村さんは、早稲田大学第一文学部文芸学科を卒業されていますよね。キャリアのスタートがアニメの脚本からなのは、なぜですか?。

月村了衛(以下、月村) 文芸に入ったということは「作家になるぞ!」というつもりがあったワケなんですが、文芸学科というのは、いろんな学科の授業を選択できるんですね。それで、演劇であるとか、脚本であるとか、映画であるとか、そういう授業をもっぱら選択していました。それを知っている方が、「脚本を書いてみないか」と声をかけてくださって。「ただし、使えなかったらそこまで」とも同時に言われました。こちらとしては、脚本でやっていくつもりはなかったのですが、勉強はしていたので、考えた末、「ダメだったらすみません」くらいのつもりでやらせていただくことにしたのです。そしたら、まあまあ使えたらしくて。気が付くと、20年ばかりがたってしまいました。

――作家になる決意は、いつからあったのでしょうか?

月村 ホントに長い話ですが、もともと絵本や紙芝居やそういった〈物語〉が好きで、よく読んでいたんです。それに加えて、小学校2年生の頃から小児ぜんそくがありまして、発作が起きると、家から動けないので、本を読むしかないんですよ。それで、貪欲に本を欲するようになったんです。

――その頃読んでいた作品は、どんなものなんですか?

月村 強烈に覚えているのは、山中峯太郎先生が翻案された、子ども向けの『シャーロック・ホームズ全集』です(註:ポプラ社が1956年から刊行したもの。現在は絶版)。これを読んで、それまで自分が読んでいたようなものとはもう一線を画すと、小学校2年生ながら強烈に自覚したんです。

――小学校2年生で『シャーロック・ホームズ全集』というのは少し早いと思うのですが、それはご両親が買ってくれたんですか?

月村 いえ、図書館です。ウチには、そういう本がほとんどなかったですね。

――中高生の頃には、明確に作家志望になっていたのでは?

月村 そうではないです。作家になろうと思っていても、普通はなかなか口にはできないじゃないですか? 作家志望をハッキリと意識したのは、高校卒業の頃です。高校の入学時に、志望調査の書類を提出させられたんですが、そこに「志望学部」を記入する欄があったんです。志望が決まっていてもいなくても、とにかく記入しないといけなかったので、とりあえず法学部と書いたのを覚えています。漠然と、弁護士とかなら名探偵のイメージに近いなあとか。まだ、作家になるという明確な意志はなかったんですね。それに、法学部と書けば、親もだいたい安心するじゃないですか。ハッキリと「文学部」と書いたのは、高校3年生になる頃ですね。

――それで早稲田大学に入学されたわけですが、学生時代には周囲にも作家志望なり脚本家志望なりが、友人には多いという環境だったんでしょうか?

月村 そういう付き合いはなかったですね。というのは、キャンパスで「ワセダミステリクラブ」を捜したんですが、部室を発見できなかったという……。そうしたら「幻想文学会(註:幻想文学専門誌「幻想文学」の、当初の出版元)」が、サークル勧誘のテーブルを出していたんです。それで新人ノートに名前と住所のほかに「好きな作家 山田風太郎」と書いたら、1カ月くらいして、東雅夫さん(註:「幻想文学」編集長。現在は、怪談専門雑誌「幽」の編集長としても知られる)から「ちょっと話したいんで、来てくれないか」というおハガキをいただき、早稲田にありました「幻想文学」編集部に伺いました。「幻想文学」創刊からそんなに間もない頃でしたが、初めてお会いした東さんが「山田風太郎インタビューに同行してくれないか」と。まだ入学して1カ月の頃なんで、とてもそんな、自分よりももっと詳しい人は絶対いるはずだと申し上げたんですが。重ねて依頼があったので、東さんと聖蹟桜ヶ丘の山田風太郎先生のお宅にお邪魔したんです。本当に一期一会の得がたい経験でした。

――そこまで熱くオファーされた理由はなんだったんですか?

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