残酷すぎる退屈な日常から生まれるドラマ アニメ『悪の華』第1回先行上映会レポート
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この発言を受けて、長濱監督に質問した。
――基準を合わせるという意味では、主人公がひとつの基準になると思います。春日の春日らしさ、あるいは、思い返すと決して学校って楽しいことばかりじゃない、学生らしさ、学生の会話のレベルみたいなもののライヴ感を出すにあたり、ちょっと難しいとは思うんですが、実写と声の両方で春日を演じた植田さんへの評価は?
長濱監督 「植田くんの評価ですか。相当難しいですが。植田くんのやった役、春日高男のなんでもないことを追体験するところから始めているんです、1話は。だから何も起こらない。わざわざ2回、同じ登校シーンを繰り返すんですよ。でも見ていただけるとわかるんですが、背景美術は別の日なので、微妙に光の感じも雲の感じも天気も違うんですね。その中で、だけど見ている人間にとっては『同じ日じゃん。同じ画をくり返しているんじゃないの?』と見えてほしかったんです。そのくらい退屈なんです、たぶん。春日にとっては当たり前の生活で、それを、その桐生というところで生きている中学生『春日高男』を、まず知るところから始めないと、春日が仲村と出逢ってどう変わっていくのか、どうしてこうなったんだろうという感情が生まれづらくなるので。そこに持っていくために今回、1話をていねいに、何も起こらない日常をずっとやった。その中で、つくり笑いをしたり、話を合わせたりする春日高男というのは、みんな誰もが身に覚えのある瞬間だったりするし。友だちがいないわけでもない。いじめられているわけでもない。優等生でもない。なんの変哲もないことがどれだけ残酷かものなのか、自分というのはいったいなんなのか、というのをどこに求めていくかと言ったら、本しかなかった。それをずっと見せていき、描きたいことを描こうとしていた一話なんですが、原作には描かれていない、前日談みたいなものを描いているんですけれども。植田くんがやはり、ちゃんと春日高男というキャラクターに寄り添って、春日高男に向き合ったからこそあの表情が出てくるし、あの世界で春日高男がどんな笑い方をして、どんなクラスに、どんなふうに座っているのか。みたいなことを彼がまず1話で示してくれたことで、今後の展開に大きく影響を及ぼしてくる。
全力でぶつかってくれた植田慎一郎という人間は、素晴らしかった……というチープな言い方しかできないですが、素晴らしかったですね。撮影は本当に過酷だったので。参加してくれた役者さんたちはみんな大変な思いをしたんですね、夏の陽射しのもとを歩いたりとか。その先頭を引っ張っていたのが、経験値もなんにもない、ジュノンボーイで、春日高男とはまったく正反対のリア充真っ盛りみたいなね、やつなんじゃないかと言われている植田くんが、いちばん春日高男になっていたという。あの瞬間は、なんだろうな、役者って面白いいな、と思うんですね。自分は役者ではないですけれど、役者という仕事は面白いいな、彼が春日になれるんだものな、と。サッカーをやっていた人間が、本しか読まない、なんの変哲もないやつになれるんだよな、と思って。それを彼は愛しいと思っていると思うんですよ、きっと。一生自分のものだと思って手放したくないと思う(だろう)し。役者はみんな、この役を誰にも渡したくないと思うだろう。春日高男というキャラクターが、そこでやっと人になり、生きているのだと思うと、感慨深いですよね。それにちょっとでも関われたのは、幸せですね」
この上映会と付随する取材だけで、とにかくすごいということはわかった。しかし、まだ本放映が始まったわけでもない。最後まで見届けたい作品になりそうな予感がする。
(取材・文=後藤勝)
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