サイエントロジーをモデルにした『ザ・マスター』人間は何かに依存しなくては生きていけない?
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だが、“マスター”なしでの生活は、フレディに虚しさを覚えさせるだけだった。
「(新興宗教に)特に興味を持つことはなかった。多分、そういう人たちはある信条に賛同し、彼らは本当にそれを信じているんだろう。でも、ある時点で、権力に魅せられて堕落する者が出てくる。そういう人がグループを先導し、神と言われるものを作り出していく。それが僕の新興宗教に対する考えだ」。そうコメントしているのは、フレディ役を演じたホアキン・フェニックス。かつて両親が共に新興宗教「神の子供たち」の宣教師を務め、兄リヴァー・フェニックスを薬物の過剰摂取で失ったという過去を持つホアキン。ヤラセドキュメンタリー『容疑者、ホアキン・フェニックス』(10)で「罪深きこの人生やり直させてくれ♪」と自作のラップを披露する姿も、自分の中に巣食う苛立ちを持て余し続ける今回のフレディ役もホアキン自身の持つリアルな側面のように感じられる。
薬物、アルコール、セックス、過食、ギャンブル、職場、スマホ、占い……。現代人は大なり小なり、何かに依存せずには生きていけない。心の目を開いてくれるはずの宗教も盲目的に信仰するようになれば、それはただの宗教依存になってしまう。新興宗教を立ち上げた“マスター”ことランカスターも自分自身を救済してくれる存在を欲していた。ランカスターはエネルギッシュに人々に接する一方、自分の内面の弱さをちゃんと自覚していた。ランカスターのそんな部分も含めてフレディは人間味を感じていた。教団から束縛されることを嫌って放浪の旅に出たフレディだが、結局のところランカスター以上に心が惹かれる人物に出会うことはできない。物語の終わりに2人は再会する。英国に拠点を構えた教団はフレディの想像を遥かに上回る組織に成長を遂げ、かつて宗教家として人々の苦しみに耳を傾けていたランカスターは巨大企業のCEOのようになっていた。もはやランカスターはコドクに打ち震えるちっぽけな心はどこかに置いてきたのだろうか? それとも、もっと別な新しい依存の対象を見つけたのだろうか?
(文=長野辰次)
『ザ・マスター』
監督・脚本・製作/ポール・トーマス・アンダーソン 音楽/ジョニー・グリーンウッド 出演/ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン R15 配給/ファントム・フィルム 3月22日(金)よりTOHOシネマズ・シャンテ、新宿バルト9ほか全国ロードショー
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<http://themastermovie.jp>
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