「マイ踏切」「勝手に畑に」線路内を自由に使う住民たちのメンタリティとは?
#鉄道
■線路のほうが勝手にやってきた例も
さて、ここまでは住民が勝手に踏切などを設置することについて話してきた。だが、世の中にはその逆のパターン、勝手に線路が自分の家の中に入ってくる事例も存在する。いや、正確には「存在した」である。
ある日突然、自分の家の庭に線路が敷かれて、家に出るにも入るにも、線路をまたがなければいけないというシュールな光景が、日本国内に存在したのだ。
そんな光景が存在したのは、東北本線の矢板駅と野崎駅の間。氏によれば、ここには1963年まで77年間にわたって民家の庭を列車が往来している光景が見られたのだという。
「敷設当時、鉄道の建設は国策だったので、土地を売らない場合には、こんな強引な方法もまかり通ったんです」
氏によれば、1963年に東北本線の複線化工事を機に、ようやく土地の持ち主が買収に応じたため、珍風景は消滅したという。当時、鉄道業界では話題になり「交通新聞」にも取り上げられたという。
さっそく当時の紙面を探してみたところ、「交通新聞」1963年5月8日号に掲載された「庭の中を“列車”が走る 東北線の珍名所消える」という記事を発見した。記事では、農家の門と母屋の間を列車が通過している写真も掲載、確かに庭を列車が走っているではないか!
しかも、記事によれば、庭に強引に線路を引いたどころではなかった。当時、鉄道を建設した日本鉄道は「経路を変えることは不可能だったので当初の計画のままどんどん工事をすすめ、左手に母屋、右手に長屋門と、ひとつの座敷をぶち割って線路を通してしまったとのこと。以来、この家の当主は親子二代にわたって「反骨精神で頑張り続けた」そうだ。
しかも、東北本線の電化は1960年のこと。それまでは、蒸気機関車が走っているわけだから「洗濯物は真黒になるし、タタミの上はいつもザラザラ、機関車の火の粉が散って屋根や積みワラが燃え出すようなことはしばしばだった」のだとか。しかも、ローカル線と違って列車の数は多い。1963年当時で一日に120本の列車が往復していたというから、とてつもなく危険である。二十数回の交渉の末に買収に応じた、この家の当主は「思えば私は両親から小さい時毎日のように“踏切に注意しろ”といわれて育てられ……」と胸の内を語っている。
鉄道と近隣住民の関係も様々。でも、やっぱり不用意に線路に近づくのは事故のもとだよね!
(取材・文=昼間たかし)
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