“当たり前の世界”を見つめ直す、『泣くな、はらちゃん』の無垢な問いかけ
#テレビ #NHK #テレビ裏ガイド #てれびのスキマ
「犬とはなんですか?」「車とは?」「かまぼこって?」「働くとはどういうことですか?」「猫って?」「漫画?」「恋とは?」「片思い?」「両思いって?」「チューとはなんですか?」と。はらちゃんの無垢な疑問は、世界そのものの意味を揺るがす。その結果、何気ない言葉や物や事象が、胸の中に溶けていくように定義し直されていく。すると、当たり前のことがどこか美しく見え始めるのだ。
越前さんに逢いたいと思うだけで胸が痛くなることを「恋」だと知ったはらちゃんは、それが「両思い」になれば、越前さんが「幸せ」になるのだと教わる。その彼の真っすぐさに彼女は惹かれ、やがて2人は「両思い」になる。しかし、同時にお互いの「住む世界」が違うことに気づく。違う世界に住む2人の恋は「楽しいぶん、切ない」のだ。
第5話ではらちゃんは「死」とは何かと疑問を抱く。
「死ぬってなんでしょうか?」
「どういうことかしらねえ……。世界からいなくなるってこと?」
「いなくなる? それは困ります!」
「死んでいなくなったら、どうなるんですか?」
「消えてなくなるんだろうなぁ、命がなくなるわけだから」
「もう会うことはできないんですか?」
そして、「はらちゃん」「玉ちゃん」と呼び合うまで意気投合した工場長・玉田が突然の死を迎える。悲しみに暮れる越前さんを抱き寄せ、はらちゃんは涙を落とす。
「もう逢えないんですね、工場長さん、玉ちゃんに。悲しいですね……もう逢えないなんて。越前さんも、いつか死んでしまうんですか? イヤです。そんなの絶対イヤです。私も死にたいです……。どうして、私は死なないんでしょうか?」
人は死ぬ。それは抗いようのない人類最大の理不尽でマッチョなシステムだ。そして誰が死のうが、それとはなんの関係もなく世界は続いていく。なんとシュールなことだろう。
『泣くな、はらちゃん』は、はらちゃんという違う世界の人物の視点を通じて、世界を見つめ直すドラマだ。ポップで明るいファンタジーラブコメディの楽しさに腹を抱えて笑いながら、いつの間にかその切なさに泣き、同時に脳の奥で深い思考が駆け巡る。世界とは何か? 物語とは何か? 人間とは何か? 生と死とは何か? と。そして人間が生きること、死ぬことを、ファンタジーの力でしかできない方法で肯定し、救おうとしている。玉田の死を、はらちゃんと越前さんは2人なりのやり方で乗り越える。「玉ちゃん」とは同じだけど違う「たまちゃん」の創造である。一方でそれは、世界や人間の実存自体を問うものだ。「神様」は考えなければならない、「物語の終わり」を。
『泣くな、はらちゃん』はメタの世界でさらにメタの視点に立ち、「物語の終わり」の本質にまで踏み込もうとしている。その時僕らは、はらちゃんと同じ視点で「これはなんですか?」と問答することで、当たり前だと思っていた世界を作り直し「物語の終わり」のその先へ進むことができるかもしれない。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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