被災者はサバイバーズギルトにどう対処している? 中田秀夫監督による映像碑『3.11後を生きる』
#映画 #インタビュー #東日本大震災
ひとり娘と3人の孫を失い、自分が代わりになれなかったことを責めている。
中田 「今までに撮った3本のドキュメンタリーはそうですね。もともと僕は学生の頃からドキュメンタリー映画が好きで、『岩波映画製作所』に入りたいなと思っていたんです。岩波映画はもうないんですが、羽仁進、黒木和雄、土本典昭といったドキュメンタリー監督たちが活躍していた映画会社で、憧れていました。結局、僕は『にっかつ撮影所』に入り、劇映画の世界に身を置くことになったわけですが、今回はドキュメンタリーを撮ることで現実の社会と向き合わざるを得なかった。でも現実社会と向き合うほどの思想を持たない人間が社会問題を扱うドキュメンタリーを作ることはおこがましいという気持ちもあり、自分がいる世界を撮るのが順当だろうという気持ちで今まではやってきていたんです。ですから、被災地で取材を進めた今回は、今までの自分が撮ってきたドキュメンタリーとは大きく異なりますね」
中田監督の劇場デビュー作となった『女優霊』(96)は、もともとは英国留学中に撮影を始めた『ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男』を完成させる資金を捻出するために撮ったもの。その後、『リング』シリーズをヒットさせた後に『サディスティック&マゾヒスティック』、ハリウッドデビュー後に『ハリウッド監督学入門』を撮っている。中田監督のキャリアを振り返ると、節目節目にドキュメンタリーを残していることが分かる。
中田 「確かにそういう一面はあるかもしれません。今回の企画は、最初はテレビ用のドキュメンタリー番組としてスタートしたものでした。でもかなり初期の段階で、テレビ局側とどうまとめるか話し合った結果、今回は僕個人の自主映画としてやった方がいいという判断で進めていくことになったんです。ドキュメンタリーを撮るときは、自分の中で“やりたい”という衝動と“やらねば”という気持ちが重なると“何がなんでもやる”という心境になるんです。今回は最初こそテレビ局からの話でしたが、自分自身でやると決めてからは、がむしゃらにやるという気持ちになりました。自分のお金で撮るわけですから、そうならざるを得なかったわけです(苦笑)。劇映画の場合はほとんどがオファーを受けて向こうの提示したテーマに沿って撮ることになるんですが、それに対して自分の中から沸き上がってくるものを撮っているのがドキュメンタリーだと言えるかも知れません」
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事