重度のうつ病に苦しむ中森明菜の人生を「ジャニーズ」と「近藤真彦」はどう追い込んだか
#近藤真彦 #本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」
~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~』
( ワーナーミュージック・ジャパン)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
“昭和の歌姫”といわれた中森明菜の歌手復帰については、「今年こそ」と、ファンや業界関係者の間で期待されている。だが、彼女に近い関係者によると、「明菜は重度のうつ病と闘っている」そうだ。
昨年11月に5年ぶりに歌手復帰した華原朋美は、うつ病による精神不安定が原因で、所属事務所のプロダクション尾木を契約解除されて、事実上、芸能界から追放された。その後、復帰までには、病気治療も含め、苦難の道のりが待っていたわけだ。
だが、関係者によると明菜は「華原以上に重いうつ病」だという。となると、復帰はそう簡単ではないだろう。
明菜は、2010年の10月に体調不良を理由に活動休止。その後、重度の帯状疱疹(たいじょうほうしん)に罹っていたことが明らかになった。この病気は、過労やストレスが原因でも発症するといわれている。翌年、帯状疱疹は完治したという情報も流れたが、実際にはその後も再発を繰り返しているという。さらに関係者によると、「うつ病も併発した」というのだ。こんな話を聞くと、彼女をここまで追い込んだ“源流”が頭によぎる。
デビューの頃から人一倍神経質で、うつ病体質だった明菜は、デビューして間もなく、ジャニーズ事務所の近藤真彦と熱愛。人目を避けて密会しては、些細なことから痴話ゲンカとなり、落ち込みやすい明菜は、リストカットを繰り返していた。
今年1月に発売された「週刊文春」(1月3日・10日特大号)では、再起の見通しが立たないところまで明菜を追い込んだ理由として、「マッチとの婚約会見の出来事と8,000万円の金銭トラブル」を挙げている。この記事では、ベテラン記者が「明菜は89年に、当時恋人だった近藤真彦の自宅で自殺未遂をした。その年の大みそか、彼女はジャニーズ事務所から“婚約会見だから”と言われて、金屏風のある会場に向かったら、結局、その場はマッチ同席の自殺騒動の謝罪会見だった。それがショックだった」という旨のことを語っている。
自殺未遂後の明菜に対して、マッチの母親代わりで、ジャニーズの“女帝”といわれたメリー喜多川副社長に「あなたは研音に搾取されている」と吹き込み、当時の所属事務所「研音」との関係にヒビを入れ、結果、明菜は独立。これを機に明菜がスターの座から転落していった様は、当コラムでも何度か触れてきた。
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