「“韓国文化はパワフル”というのはいいことだけではない」『息もできない』ヤン・イクチュンの苦悩
#映画 #インタビュー
――すごく面白いお話ですね。『息もできない』を撮られた後に、韓国の映画界と距離を置いたのはどういった理由だったんでしょうか?
ヤン 『息もできない』を撮るために、ほかからの出資がなかったので、お金を全部自分で集めたんですね。さらに監督、シナリオ、編集、ポスプロ、マネージメント、公開まで全部自分でやったんです。いわば、100メガくらいのハードディスクで5テラくらいの仕事をしたので、壊れてしまった(笑)。それと、映画が終わったあとにいろんなオファーが殺到したんですが、それにも対処しきれませんでした。僕はすっかり疲れてしまい、しばらく映画を作ること、役者をやること自体が嫌になってしまったんです。
――燃え尽き症候群のような?
ヤン そうですね。精神的にもつらかったので、病院に通って薬をもらったり。そのあと日本に来て休養して、韓国の人間関係から自由になれたことで随分リフレッシュできました。不思議なことに、昔は考えたこともないくらい、今は“映画そのもの”が愛しくなったんです。映画産業のシステムやスタッフの待遇などにも興味があります。
――監督と俳優業のバランスは、どうなっていますか? 監督としての次回作に期待する声も大きいと思いますが。
ヤン はっきりとは分けていません。その都度、自然に任せます。全エネルギーを一方に突っ込んで燃え尽きた経験があるので、もっとバランス良く仕事をすることに決めたんですね。なので余計なオファーには応えずに、自分にベストなものを選択して、それにエネルギーを注ぎ込むように変わりました。
――そのベストの選択の中に、『中学生円山』もあるんですね。
ヤン 実はこの依頼にはつい即座にOKを出してしまったんですが(笑)、そのあとで宮藤さんのことをインターネットで調べたりして、『GO』など、とても良い作品を書かれているシナリオ作家であり、監督であることを知りました。撮影現場では思いやりのある監督で、とても楽しかったですよ。韓国で作品を選ぶ場合は今もすごく気を使うので、海外作品のほうが選択しやすいのかもしれません。『かぞくのくに』にしろ『しば田とながお』にしろ、良い選択だったと思います。学んだこともたくさんありましたし、以前と比べて自分に余裕を持てるようになりましたね。
(構成=森直人/写真=堀哲平)
●ヤン・イクチュン
1975年、韓国生まれ。俳優、映画監督。00年代前半から役者として活動をしながら、09年に『息もできない』で長編映画を初監督。日本を含め、韓国内外で高い評価を受けた。12年にはヤン・ヨンヒ監督の自伝的映画『かぞくのくに』に出演。5月18日からは宮藤官九郎監督作品『中学生円山』の公開が控える。1月26日~2月8日に開催された『シネマ☆インパクト』にて短編『しば田とながお』を上映。
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