演歌界の両巨頭・小林幸子と都はるみ“親友同士”の芸歴50年を彩る「男運のなさ……」
#本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」 #小林幸子
(コロムビアミュージック
エンタテインメント)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
昨年、事務所幹部の“解任泥沼騒動”で年末まで芸能界を騒がせた演歌歌手の小林幸子の名前を、2月に入って久しぶりに聞いた。
2月8日、東京・大田区の区民ホールで開催された都はるみのコンサートに、風邪をこじらせた本人に代わり小林が代演を務めて、“友情出演”という美談に収まったようだ。
関係者によると、2人は同じ日本コロムビアから同時期にデビューしたこともあって“親友”という関係だというが、筆者にとっては初耳。どちらかというと2人とも、付き合う“男”について、周囲から反対された過去を持つという共通点がある、お騒がせ女というイメージだ。
はるみは、「アンコ椿は恋の花」で日本レコード大賞新人賞を受賞後、次々にヒット曲を飛ばして、演歌界をリードしてきた。78年には、作曲家であり、のちに宮崎雅という名前ではるみと「ふたりの大阪」をデュエットすることなる朝月広臣さんと結婚する。この時、当時2人が所属していたサンミュージックは結婚には反対だったが、それを押し切って、2人はハワイで挙式した。
結婚後、朝月さんは銀座7丁目に紳士服のオーダーメイドの店をオープンした。その頃に、筆者は知人の芸能リポーターに紹介されて朝月さんと付き合うようになった。彼は毎晩のように銀座のクラブに通い、ホステスを口説きまくった。浮気を疑ったはるみが、朝月さんの洋服を水浸しにするという夫婦ゲンカまで起こしている。そして、クラブ遊びがたたって、店は火の車。はるみとの関係も破綻し、3年あまりで離婚した。事務所の反対は正解だったといえる。
さらに、はるみは離婚する前後から、コロムビアの担当デイレクターだった中村一好さんと不倫のウワサがあった。そして、離婚後間もなく、一好さんと同棲を始めた。はるみの母親や所属事務所は猛反対したが、稼ぎ頭のはるみの首に鈴をつけられる関係者はいなかった。一好さんの離婚が成立すれば話は別だったのだろうが、一好さんの奥さんは頑として、離婚に応じなかった。84年にはるみは「普通のおばさんに戻りたい」と宣言。その年に引退して、ファンを悲しませた。結局、90年に復帰するも、かつての勢いはなくなっていた。
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