いつも心に「ぺっこり45度」、再ブレイク中のずん・飯尾和樹を構成する“謙虚な毒”
#お笑い #インタビュー #ずん
――飯尾さんを語る上で外せないのが「大喜利」だと思いますが、大喜利力はどうやって鍛えてきたのですか?
飯尾 僕に大喜利を教えてくれたのは『内P』でした。あの番組はスベってもなんでも、すべて笑いにしてくれて。内村(光良)さん、さまぁ~ずさん、TIMさん、ふかわ(りょう)くん……終わってから、必ず飲みに行くんですよ。その時に「あの答えは良かった」とか「あれはもっとこうすれば」とかアドバイスもらって、まるで塾に行っているようでした。ギャラもらってるのに。だいたい遅いんですよね、俺は。芸人になって2~3年で習得するべきことを、30から学んでいたとは。
――しかし、その成果が『ダイナマイト関西』、さらに『IPPONグランプリ』へと続くと。
飯尾 両番組には、本当に助けていただきました。去年『IPPONグランプリ』に出た時は、それはもう緊張で、ガクガクで。やっぱり俺は一人じゃダメなんだなって思った瞬間でもあったんですけど、ステージに出ていく時にですね、自分はメンバーの中の最後から二番目、ラストは(千原)ジュニアくん。そこでジュニアくんがいきなり「飯尾さんって、おいくつなんですか?」って。え? 今それ!? 「あ、よ、43」って言いながら出て行きました。でも、そのおかげで緊張がほぐれた。始まったら始まったで、右のジュニアくん、左の小籔(千豊)くんが、俺のボケを両サイドでツッコんでくれるんですよ。新喜劇の座長と稀代のトークマシンがですよ? そうしたらノッていくじゃないですか。あれはねぇ、もう事務所を挙げてお礼に行かなきゃいけないお二人です。バームクーヘンの一つでも持って。
――点数を競う番組でありながら、そんな一体感が。
飯尾 僕より5歳も6歳も年下なのに、やっぱりこう自分の城を持てる人たちというか、すべて笑いにするっていう責任感、愛情があるんです。もう、ここの家の子になりたいって思いましたもん。どっか部屋空いてませんか? 多少日当たり悪くてもいいですからと。
――飯尾さん自身が城を持ちたいとは?
飯尾 やっぱり城を持つ人というのは、ボケがウケた時にそれにカブせてもっと大きな笑いにする時よりも、スベった時にどう笑いに変えていくかっていう、その力がすごいんです。緊急オペの時にどれだけの実力を発揮できるか、ですね。俺なんかもう、ぐっちゃぐちゃの状態で運ばれてきますから(笑)。面白い要素がイマイチお客さんに伝わっていない時に、松本(人志)さんが一言添えるだけでドーンとウケるじゃないですか。あのニンニク注射! 僕には、あんなことできません。「あ~」って言いながら一緒に溺れちゃう。だから、いつも若手に「MCさんにはどっぷり甘えろ」って言うんです。関根さんや小堺さんみたいに、ボケをひとりで処理できるような人はまれだと。最初は甘えて甘えていったほうがいい。気持ち悪いですけどね、40過ぎて「甘えよう」って決心した芸人も(笑)。でも、結局、今までいろんな芸人さんに甘えてきたなって。周りの人に助けてもらって。
――しかし、正直レギュラーがないって不安ではないですか?
飯尾 以前、出川(哲朗)さんに「僕、関根さんのラジオ以外レギュラーがないんですけど」って相談したことがあったんです。そうしたら隊長……あ、僕らは出川さんを“隊長”って呼んでるんですけど、隊長が「あ~飯尾くん、僕が何年レギュラーなしでやってると思ってんの! だいじょぶ、だいじょぶ。そのほうが動けるからァ」って。そうか、確かにそのほうが動けるよな、と。僕は何か新しい仕事が入ったら、まず隊長に相談します。『IPPON』の時もそうです。出川さんはお酒飲まないんで、俺たちだけ散々飲ませてもらい、最後は家のそばまで愛車のポルシェで送ってくれましてね。降りる時に「隊長、行ってきます、『IPPON』」って言ったら、「あ~飯尾くん、『IPPON』グランプリは人生を変えると思うから、全力で!!」って。
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