あの重大事件の犯人たちは今……赤軍、オウム、林真須美ら死刑囚78人の肉筆
#出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
バスケット部の関係者もこう言う。
「先生は『勝利至上主義』みたいに言われていますが、実際は『たかがバスケ』という考えの人。『僕はバスケを教えたくて教師になったんじゃない。教師になりたいから教師になったんです』が口癖で、どちらかと言えば自主性を重んじるタイプの指導者です。試合ではベンチ入りメンバーも選手同士で決めさせたりするし、テスト前になると『勉強も頑張らなアカン』って言って、放課後の練習時間を割いて皆で勉強させられます」
きっかけは、昨年10月にA君がバスケット部のキャプテンに自ら立候補したときからだというのだ。
A君はレギュラーになるのには苦しい実力だったが、どうやらキャプテンになれば大学進学に有利になると考えていたようだと、先の同級生が話している。
しかし、キャプテンにはなってみたものの、なかなか部内でうまくいかないため、本人もキャプテンを辞めたいと考えていたようだ。
練習試合中にK先生から注意され、十数発のビンタを両頬に食らったA君は、その後、キャプテンを辞めたいとK先生に告げに行き、衝撃的な事実を告げられてしまう。
「その日、A君は初めて先生に『もう無理です。キャプテンを辞めたい』という旨を伝えた。K先生はA君に『じゃあBチーム行きやで』と、這い上がって来いという親心を込めて言ったんです。でも本人はBに落ちたらいやですよね。『じゃあやっぱりキャプテン続けます』って言った。先生が『お前、どうしてそこまでキャプテンにしがみつくねん?』って聞いたら、『大学進学のためです』と漏らした。先生が『そんなこと誰に言われたんや?』って聞いたらA君は無言だったみたいなんですけど、先生が『お母さんに言われたんか?』って聞いたら『そうです』と。それで先生は『キャプテンをやったからといって、大学には行けない』という現実の話をして、A君はそれにショックを受けたようなんです。桜宮から指定校推薦の枠は無い。でもA君はその時まで、バスケで進学できると信じて疑っていなかった。目標があったからこそ、嫌々ながらもキャプテンを必死にやっていたのに……」
A君が遺書を書き、自宅の寝室で首を吊ったのは、その日の深夜から翌日の未明にかけてと見られているようだ。
思春期の子どもは多感である。それを「体罰は反対」というだけで学校に介入し、問答無用で桜宮高校を解体しようというのはおかしいと、「桜宮を応援する会」の伊賀興一弁護士が語っている。
「生徒を主人公にして、職員と保護者が学校の問題点を忌憚なく言えるような場にしていかなければならないのです」
橋下市長は、主人公である生徒たちの声を真摯に聞くところから始めなくてはいけなかったはずだ。今からでも遅くない。生徒たちと車座になって、自分も受けてきたという体罰の思い出を話し、生徒の生の声を聞いてみたらいい。
そういえば、『スパルタ教育』(光文社)という本をベストセラーにし、生徒への体罰によって死者を出した戸塚ヨットスクール戸塚宏校長とも親交のあった石原慎太郎共同代表は、この問題でなぜ発言しないのだろう。
本の中の100か条に「子どもをなぐることを恐れるな」とあるはずだが、橋下市長と「いい体罰と悪い体罰」とでも名付けて公開論争をしたらいいのに。
蛇足だが、ポストの袋とじ大型ピンナップ「YURI 顔」がいいよ!
(文=元木昌彦)
●もとき・まさひこ
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
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