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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 「なぜ、お城型のラブホテルは消えたのか?」目からウロコの“エッチ空間”の歴史学
『性愛空間の文化史』著者・金益見インタビュー

「なぜ、お城型のラブホテルは消えたのか?」目からウロコの“エッチ空間”の歴史学

 新風営法では、ラブホテルを明確に定義しました。その定義には、回転式のベッドや1平方メートル以上の鏡の設置などが含まれています。新風営法の定義するラブホテルに当てはまると、立地条件が限られてしまいます。そこで、新風営法の定義に当てはまらないようなホテルを造り、旅館として登録する流れができます。そうすればラブホテル禁止区域でも建てられますし、警察の関与も少なくなります。業界の中では、この法律はザル法とも揶揄され、抜け道ができたんですね。

 もうひとつの理由は、ゴージャスでケバケバしいラブホテルに対して女性側が「あれ、なんなん?」と言い始め、ホテル選びの主導権が女性に移り始めたのも大きいと思います。その頃は女性がラブホテルのことをブティックホテルと言い始めた時期で、スタイリッシュでシンプルな、ハイセンスなものを求め始めました。それまでのラブホテルというのは男性が考える「女性が喜びそうなもの」、それがお城やメルヘンチックな外観に反映されていたのですが、この頃から女性のニーズを取りり入れ始めます。それまでのラブホテルは外観にしても、一見すると女性の意見を取り入れているように見えますが、真の意味で女性のことを考えるという意識がありませんでした。例えば、アメニティは男性用の髭剃りや、ヘアートニック、シャンプーなどしかなかったのです。

 また、シンプルでシックな流れになった理由として、建築費が安く済んだことも挙げられます。お城のようなゴージャスな外観ははやりましたし、マスコミも取り上げてくれましたが、建築費が膨大になり、真似をできない経営者もいました。こうした3つの理由が、シンプルでシックなホテルの増加に拍車をかけました。

――85年には、男女雇用機会均等法が改正されています。そういった時代の空気もあったのでしょうか?

 そのあたりについてはさほど詳しくはないのですが、時代の流れとして婚前交渉をしないという意識が薄まってきたでしょうし、女性が3歩下がって歩く時代ではなくなり、積極的に意見を言える時代になったのではないでしょうか。

――90年代に入り、「ぴあ関西版」などの情報誌でラブホ特集が組まれるようになりました。この影響は大きかったのでしょか?

 私はそう考えています。というのも、それまでラブホテルの情報はありましたが、役に立つ情報はありませんでした。マスコミはそのホテルの中でも、話題となるような一部の部屋だけを取り上げていましたが、実際に行っても、目当ての部屋には入れないことが多々あった。結局、それまでのマスコミ情報というのは、話題であって情報ではなかったのです。

 情報誌が特集を組むことにより、休憩は何時から何時まで、料金はいくらか、アメニティは何があるのかを調べられるようになりました。それまでラブホテルというのは、事前に調べて行く場所ではなく、行き当たりばったりで行く場所であったのが「この日、この時間に、このホテルに行こう」とできるようになったのが、情報誌がもたらした大きな変化です。

――ここまでゴージャスからシンプル・シックという流れがあり、現在はどんな方向なのでしょうか?

 現在はホテルのタイプも増え、ありとあらゆるニーズに応えられるホテルが乱立している状況ですね。世の中のニーズの多様化に伴い、ラブホテルもそうした傾向にあります。これまで休憩は大阪1時間、東京2時間でしたが、時間設定もバラバラです。ホテル側もマーケティングをし、利用客のニーズに合わせて時間設定をしています。ですから、現在こんなホテルがはやっていると言うのが難しい。本当に多種多様で、セクシャルな仕掛けを追求しているホテルもあれば、リゾートや癒やしを追求しているホテルもあります。また、シティーホテルのデイユース(日中、時間貸しで部屋を利用できる)も増えてきました。

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