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コミケがなくなっても、戻れる場はあった──100回を迎えた同人誌即売会・MGMの意義

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 1月27日、コミックマーケットに次ぐ歴史を持つ同人誌即売会・MGM(まんが ギャラリー&マーケット)が、100回目の開催を迎えた。

 創作系漫画を主体とするMGMは、コミックマーケットの創設母体ともなった同人サークル「迷宮」の主催で、1980年以来、年2回のペースで開催されてきた。ところが07年、長年会場として利用してきた川崎市中小企業婦人会館が閉館し、開催が中断。その後、11年に主催者代表の亜庭じゅん氏の死去を経て、12年1月にMGM98が開催。MGM99、MGM99.5を経て、いよいよ100回目の開催へと至った。

 この間、MGM99の事後集会では、「迷宮」の原田央男氏が「迷宮」との関わりを外すことを宣言。そして、今回の開催を一区切りとすることがパンフレット及び事後集会で伝えられた。

 今回の事後集会で、故・亜庭氏夫人の松田道子さんは

「1年前に“やるんだったら100回までやろう”となって、みんなのおかげでここまで来ました。MGMは描いている人を信じてきた。これからも、みなさんなりのMGMを続けてください」

と挨拶し、会場には大きな拍手が巻き起こった。

 今回は大きな一区切りだが、MGMは終了ではない。日時未定だが、MGM2-01として新たなスタートを切る予定だ。

 さて、ここで記しておかなければならないのは、創作系漫画同人誌を主体としたMGMは、単に老舗という枠を超えた即売会ということである。MGMは規模こそ小さいものの、明確な理念を持った運動体であった。そして、MGMはコミックマーケットが拡大する中で保持しえない部分を受け止める即売会でもあった。

 いまや世界的に知られるイベントになったコミックマーケットの誕生に至る経緯は、原田氏が上梓した『コミックマーケット創世記』(霜月たかなか名義で執筆/朝日新書)に詳しい。しかし、この本ではコミックマーケットの初代代表であった原田氏が、79年の夏に代表を辞任した後の記述は少ない。

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