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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.208

チェルノブイリ“立ち入り制限区域”で撮影敢行! オルガ・キュリレンコ主演の社会派作品『故郷よ』

kokyoyo3.jpg東京でのインタビューを終え、ミハル監督は福島へ。
「旧ソ連圏では映画を撮るのに25年要したが
、日本ではすでに福島の映画が撮られている。
この違いは大きい」と話す。

「撮影の許可をもらうために、仕方なく選んだ方便です。そうでないとゾーン内での撮影はできませんでした。製作プロダクションのほうでニセの脚本は用意してもらったので、私はその脚本を読んでいません。当局がNGを出すだろうシーンを予め外した内容になっていたはずです」

 2011年3月の福島第一原発事故のニュースに胸を痛めながら本作の編集作業を進めたというミハル監督。完成後はベネチア映画祭、トロント映画祭、東京国際映画祭など世界各地でプレミア上映が行なわれたが、舞台となったウクライナでの上映会はひと波乱あったようだ。通常ならこの手の社会派作品は上映後に質疑応答が組まれるが、『故郷よ』の上映は観客たちとのディスカッションはいっさいないままに終わった。

「ウクライナでの上映では、『故郷よ』は批判の対象となりました。当局は消防士たちがヒーローのごとく活躍して原発事故から人々を救出するという物語を期待していたからです。でも、上映された作品はそれとは真逆のもので、事故の被害者たちの心情を描いたものだったのです。ウクライナの人たちにとって原発事故はいまだにタブーなのです。現在進行形の問題なので、誰も口を開きたがらないのです。でも、この作品は原発推進でも脱原発を訴えものでもありません。事故によって故郷を失い、自分の中のアイデンティティーの一部を欠落してしまった人々のドラマなのです。そして本当の恐怖とは放射能のように目には見えないものだということを描いたものなのです」

 劇中、披露宴や酒場のシーンで『百万本のバラ』が何度か流れる。1980年代に流行したラブソングだ。もともとの原曲はヨーロッパの小国ラトビアで暮らす女系家族が生活の苦しさを歌にしたもの。ソ連をはじめとする大国の思惑に左右されてきた歴史を持つ小国の悲哀が感じられる歌詞だった。それが口当たりのよいラブソングに書き換えられたことで、ソ連圏で大ヒットしたのだ。そのことに触れると、ミハル監督は意外そうな顔を見せた。

「『百万本のバラ』は80年代を代表するヒット曲で、当時の結婚式では必ず歌われていたものです。実際に事故当日、プリピチャでは16組の結婚式が挙げられ、あの歌が歌われました。私が知っている歌詞は、貧しいペンキ職人が想いを寄せる女性のために家を売り払ってたくさんのバラを贈るというものです。主人公の一途さを伝えるラブソングとして映画では使っています。ラトビアで作られた歌? それは初めて聞きました」

 1981年に作られた歌でさえ、数年後には原曲とは違う意味合いを持つものに変わってしまっていた。時間はおそろしいスピードで、あらゆるものを風化させていく。『故郷よ』の英題は『Land of oblivion』(忘却の土地)となっている。
(文=長野辰次)

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『故郷よ』
監督/ミハル・ボガニム 出演/オルガ・キュリレンコ、イリヤ・イオシフォフ、アンジェイ・ヒラ、ヴャチェスラフ・スランコ 配給/彩プロ 2月9日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開 (c)2011Les Films du Poissons  <http://kokyouyo.ayapro.ne.jp>

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