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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 本・マンガ  > パティ詩集『無垢の予兆』

NYパンクの女王パティ・スミスの巫女さん度!?『無垢の予兆 パティ・スミス詩集』

at-press-conference.jpg2013年1月21日の開かれた来日記者会見でのパティ・スミス

 現在、日本をツアー中のパティ・スミス。かつてはニューヨーク・パンクの女王とも呼ばれ、その中性的な風貌やアクの強い歌声で一世を風靡した人だが、元々はそのアーティストとしての人生を詩人としてスタートさせた人だった。ミュージシャンになろうなんて思ってもいなかったし、歌手になるつもりも毛頭なかった。そんな彼女が、いまやロックの殿堂に名を連ねるほどの高名なミュージシャンになってしまい、世界各地をツアーして回っているのは天命としか言いようがなく、本人も意図しないところで働いた力に逆らわずに従った結果としか思えない。

 先頃邦訳が発売された自伝、『ジャスト・キッズ』(http://www.uplink.co.jp/pattismith/)を読めばわかることだけれど、パティは初期の反逆的なパブリック・イメージとは違って、意外なほどオカルティスト、今風に言えばスピリチュアルな人だ。二十歳で野心を抱いてニューヨークに出てきた日は自分の生まれた日と同じ月曜日。縁起をかついで運を呼び込もうとし、仲間が根拠のない不安におののいていると、タロット占いで落ち着かせてやろうとする。自分の直観を信じ、自分に与えられた定めを受け入れることでその道を突き進んできた。

 そんな彼女の神秘的な生き方が文芸作品として結実したものが、同時刊行された詩集『無垢の予兆』だろう。

 実はこれを拙いながらも訳したのは私であり、訳させてもらった本人が言うのもなんだけれど、はっきり言って彼女の詩はわかりにくい。それほど難解なことを言っていなくても、湧いてきたイマジネーションのままに文字を綴るので、書いた本人でもなければ、どこからどういう連想でそうなったのかということがまったくわからない。そのことを自分でもよく知っている彼女は、今回は不明な点は聞いてほしい、と自ら申し出てくれたので(前回、それまでの歌詞を総まとめした『パティ・スミス完全版』を訳した際には、こちらからの希望で質問に答えてもらった)、調子に乗ってずい分と細かいところまで尋ねたものだけど、それでも疑問が残ったぐらいだった。

 では、どうしてそのような詩作法を彼女が取っているのかというと、それはひとえに自分の霊感を信じているからだろう。信じてはいるけれど、霊感ゆえに、そこに含まれている意味は降りてきた彼女にすらはっきりとはわからないものもある。そのため浮かんできた言葉、イメージ、思いつきのままに書き綴るので、勢い他人にはわかりづらいものとなってしまうのだった。

mukuno.jpg『無垢の予兆 パティ・スミス詩集』
(アップリンク/河出書房新社)

 たとえば『砂漠のコーラス』というリビア空爆を題材にした詩では、最後にカダフィの娘のハナとジャン・ジュネとがいっしょに天に昇っていくさまが描かれている。なんでこの二人が結びつくのかというと、それは双方ともが同じ空爆のあった1986年の4月15日に亡くなったからだ。そのことが、理由はわからなくても、パティの目には一見無関係に見えるこの二人を、魂のレベルで結びつけるものとなったのだろう。

 また『イラクの鳥』という、アメリカのイラク空爆への批判をこめた詩では、空爆のあった朝に偏頭痛の発作を起こしたパティ自身と、母親と、ヴァージニア・ウルフとが、同じ頭痛持ちということで時空を超えてつながっていく。空爆が始まったのは3月20日で、その前日はたまたまパティの母親の誕生日。3月はウルフが自殺を遂げた月でもあり、春の目覚めの時であると同時に混乱の季節だ。

 彼女はそのような偶然の日付の一致や出来事の一致――いわゆるシンクロニシティ――に意味を見いだすところがある。そんな関連づけは彼女の頭の中だけの物語であり、偶然の一致にはなんの意味もない、と思う人もいるだろう。だが、物事とはほんとうにそういうものだろうか。

 私自身がそういった発想になじんでいるせいもあるだろうけれど、この詩集を訳していくうちに、私もこのシンクロに巻き込まれてしまった。

 翻訳はひととおり訳した後の推敲が肝心なのだが、端から順番に推敲していったら、偶然、ハロウィンの日を描いた『すべての聖者の夜』という詩を、そのハロウィンの当日に推敲することになった。これはパティから「私が書いた詩のうちで最も悲痛なもの」という回答をもらっていて、夫、フレデリックが突然の病に倒れた日とその後のことをもの悲しいトーンでうたった作品だ。私はそのことを知ったばかりで、涙なくしては読み直しもままならない状態だったのだけど、さらにそのハロウィンの朝、駅までの道で、その詩の中で死を象徴するものとして扱われている黄色いマリゴールドの花が一輪、首から上だけぽつんと落ちているのを目にすることになった。はっとしたけれど、道の両脇のどこかのプランターからこぼれ落ちたのかと思っても、どこにもマリゴールドが植わっているようなプランターは見当たらなかった。

 そのことをそれほど重要視していたわけではないけれど、今度は推敲が終わって後書きを書き上げたら、その日が偶然フレデリックの命日とぴたりと重なってしまった。そこまで来るとつくづくふしぎな気がしたものだけど、そもそもその11月4日はフレデリックの命日であると同時に、パティが心から愛した若き日の恋人であり、生涯の親友でもあったアーティスト、ロバート・メイプルソープの誕生日でもあるのだ。

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