リアルに飛び出す物体に大興奮! 赤青メガネで見た、懐かし3D映像スペクタル
#サブカルチャー #バック・トゥ・ザ・80'S
テレビという新たなメディアの普及で人気を押され始めた映画界の起死回生策として、3D映画が大量生産された50年代。ホームシアターやBlu-rayの普及により映画館に行く必要性を感じなくなった観客を、再び映画館に呼び戻すために3D映画が脚光を浴びるようになった00年代といったように、3D映画のムーブメントの裏には映画界の危機的状況があったそうだが、80年代の3D映画ブームはどういう経緯で発生したのだろうか?
「80年代は、ほかのブームとは少しニュアンスが異なります。ビデオデッキが普及し始めた80年代初頭、アメリカにおいてパッケージソフトとして発売された『IT CAME FROM OUTER SPACE』と『大アマゾンの半魚人』という作品が発売されたのがきっかけです。アナグリフで見る仕組みだったんですが、当時のテレビでは色がにじんだり家によって色がまちまちだったので、ほとんど立体感があるのかないのかわからず、結局商売にならなくて回収されました。ところが、ケーブルテレビで放送されると、わりと好評でした。その結果、“3D映画は商売になるのでは”と判断されて、劇場作品が作られるようになったと考えています」
ビデオデッキの普及とケーブルテレビ放送における成功が、80年代の3D映画ブームのきっかけだった。そう大口氏は推測する。一方、日本での流行は一線を画している。
「日本における3D映像ブームの火付け役は『国際科学技術博覧会』(通称、科学万博-つくば’85)です。富士通パビリオン、住友館、鉄鋼館、日立グループ館、松下館の5つのパビリオンで3D映像が展示され、爆発的な人気を得ました。その原型が1983年に新潟市で開催された『上越新幹線開通記念 新潟博覧会(略称:’83新潟博)』の『あすの新潟館』で上映された、新潟の文化や自然を3D映像で撮影した『はばたきの時 ニイガタ』です」
ちなみに、海外で3D映像作品をビデオでリリースしようという企画を立ち上げた人物も、『はばたきの時 ニイガタ』で使用されたレンズを作った人物も、スチュワーデスのセックス・ライフを描いたアメリカ製3Dポルノ映画『淫魔』(1969年)のスタッフだったそうだ。つまり、80年代の3D映画ブームの陰にエロの力があったということだ。エロ・イズ・ワンダー! エロが3D映画史の1ページを作ったのである。
その後、3D映画は一般劇場用作品としても上映されるようになり、百花繚乱の80年代中盤に突入する。『13日の金曜日Part3』『ジョーズ3』といった人気シリーズの第3弾(映画業界には、なぜかシリーズ第3弾が3D映画になりがち、という法則があるそうだ)をはじめ、数え切れないほどの3D映画が制作された。
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