早稲田は正論だけど平凡?“飛んでる”慶應は才能重視?
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早稲田は正論だけど平凡?“飛んでる”慶應は才能重視? – Business Journal(1月4日)
「ロジック(論理)とコア(原義)を重視した授業」
「授業中に、自らの経験や私生活を織り込んだ雑談をし、アンパンマンの主題歌を熱唱」
1980年代後半から、代々木ゼミナール(代ゼミ)で約25年間にわたりトップ英語講師として前線に立ち続けている西谷昇二氏。
基礎クラスから、「早慶英語」などの難関大学志望者向けクラスまでを担当し、授業の動画は1000以上の塾や学校にも配信、過去の総生徒数は延べ20万人にも及ぶという。
このたび、『dreamtime 負けたら終わりじゃない、やめたら終わりだ』(PHP研究所)を上梓した西谷氏に、
「早大と慶應大の求める人材の違い」
「受かる生徒の共通点、落ちる生徒の共通点」
「トップを走り続けるための秘訣」
などについて聞いた。
ーー私立大学のツートップ、早稲田大学と慶應義塾大学の違いを感じることはありますか?
西谷昇二氏(以下、西谷) あります。早稲田はよくいえば、学生の個性を磨くというか型破り的で、バンカラ風が多く、それが早稲田カラーになっている。一方慶應はエリート的で、「社会の組織の中で自分を生かしていこう」という意識が強いですね。
ーー早稲田と慶應の入試問題から、両校が学生に求めるものの違いというのは読み取れますか?
『dreamtime』(PHP研究所)より
西谷 ええ。まず、両校に共通する点は、学部によって問題の志向が異なるという点です。例えば、早稲田の場合、政治経済学部や法学部の問題は、入学後にその学部で必要となるしっかりした論理的思考をキチッと問うています。
また、早稲田と慶應の問題を比較すると、早稲田のほうが体系化され、論理的で、問題のバランスが取れています。慶應はそれを超えているというか、例えば文学部の英語の長文問題は、文学の根本を意識しているようなところがあります。一方、早稲田の文学部の問題はオーソドックスで、正論ですが、平凡といえば平凡。慶應のほうが文学的です。
例えば、「文学者にとって経験値はいらない」というようなところまで行ってしまう。フランスの象徴派、ヴェルレーヌやボードレールなどは「経験は何も教えなかった」と言っています。「持って生まれたものに勝るものはない」という発想ですね。経験を否定しているのではなく、生まれたばかりの赤ん坊の純粋さ=才能に勝るものはない。それをどう経験値でカバーしようとしても、根本的にダメで、文学とはその「根っこの部分」を表現するものではないか? と、そういう部分まで理解しないと答えられないような問いを、慶應の文学部は出題してきます。
しかし、早稲田の文学部はそこまで行かず、「夢があれば人間の現実世界を広げてくれる。その夢を見させてくれるのが文学的装置だ」というような、教科書的な論理ですね。
慶應の問題のほうが「飛んで」いて、本質的で解きにくい。早稲田は入学後に学んでいくための基礎を確認していますが、慶應は才能を見極めているようなところがあります。
ーービジネス社会では、会社トップに早慶出身者が多いように思えますが、西谷さんから見て、なぜだと思われますか?
西谷 伝統の中で磨かれた良さもあるでしょうし、社会のシステムも影響していると思います。芸術、音楽では学歴は関係なく、才能だけが問題となりますが、ビジネスは縦のつながりが大切ですから……。ただ、僕はそうしたところから離れて生きてきたので、よく分かりません。
●受かる生徒と落ちる生徒
ーー大学に受かる生徒と落ちる生徒の違いは何でしょうか?
西谷 2つありますね。ひとつは精神面。受かる生徒は、2学期になると「絶対受かる」という気持ちが形に表れてきます。「意志(Will)が未来(Will)をつくる」という意味での「Will」ですが、意志未来が単純未来に変わってくるのが9割くらいですね。「なでしこ」と同じで、意志が強くなると成果に結びつきます。
その意志は、不況ですから、東大や早慶に入学して大企業に入らないと「良い仕事に就けない」という恐怖もあるでしょうし、「友人が合格したのに、自分が浪人でいるのはイヤだ」というライバル意識もあるかもしれません。しかし、本当は内的動因が「end」=「目的」につながっているかが大切で、強い気持ちを持っているかですね。
それから、技術面があります。まず、自分の現状、偏差値を「見たくない」という人もいますが、自分の現状を分析します。次に敵の分析です。これは2学期ですが、志望大学の入試が何を求めているのか分析する。これを可能にするのが、それまでに培った基礎力です。客観的に見るツールはこちらが用意します。
ビジネスと同じで、その後、5カ月で自分の現状と敵の求めとの差を埋めるために「何をすべきか」計画を立て、あとは階段を上るように一歩一歩進んでいきます。
この2つができてくると、受かるかどうかは見ていてある程度わかります。落ちる生徒は、自分がなく、周囲に振り回され、踊らされる人です。そういう生徒は自信がないのか、大げさなことを周囲に吹聴しますね。11月頃スランプに陥るのもこのタイプです。精神面の充実と技術面が合わさった時、9割程度の確率で合格の可能性が出てきます。それは、「Will」(単純未来)の確率でもある。
●不純な動機から予備校講師へ
ーー西谷先生は、なぜ代ゼミの英語講師になられたのですか?
西谷 大学を6年かかって卒業した後、フリーターをしていて、詩や小説など文学に興味があり、「できたらその方面で仕事をしたいな」と思っていましたが、とりあえず食っていかなければならないので、親のスネをかじりつつ、塾講師のバイトをしていました。吉祥寺のマンツーマンの塾から始め、徐々にステップアップして2度ほど塾を変わり、最後に代ゼミにたどり着きました。29歳の時にある女性と知り合って、とにかく飯を食わなければならないので、代ゼミ一本になりました。つまり、夢があって講師になったというより、「手っ取り早く食っていくため」ということでした。
ーーもともと塾講師になろうと思っていたわけではないのですね。
西谷 全然ない。どっちかというと、先生という職業は嫌いでしたね。その女性と結婚した時に「ダイヤを買ってあげよう」と言ったら「小さいダイヤはいらない」と言われ、「代ゼミに入って人気講師になれば、給料が上がるだろう」と、非常に不純な動機がきっかけでした(笑)。
ーー奥さんは、そこを計算していたのですかね……。
西谷 そうだと思います。こちらも心地よくコントロールされている。
ーー代ゼミに入られて人気が出たのは、いつ頃からですか?
西谷 入ってすぐでした。初年度は代々木本部のほか、立川や大宮でも講師をしていましたが、僕は2年目でトップになりました。それまでに自分の中にたまっていたものが一気に噴き出した感じでした。時代的な背景もありました。当時は予備校文化の黄金期でした。僕も30代で、自分の価値観を生徒たちに伝えだした頃です。30〜40代の時は、時代の空気が合っていましたね。
●遅れが後に役に立つ
ーーなぜ人気が出たと思われますか?
西谷 浪人生の生徒たちは、自分の同級生が東大、早稲田、慶應に進学して、自分は随分置いていかれた感じを抱いています。でも、僕自身の20代の経験から「遅れが後に役立つ」というポジティブな価値観を持って、彼らに伝えていましたし、文学など好きなことに打ち込んでいた経験が、生徒のモチベーションに良い影響を与えていたのだと思います。
もう1つは、友人が29歳で死んだことです。彼の死には随分と喪失感を感じていましたし、何かに対する強くて漠然とした怒りもあった。そこで、当面の目標を超えることによって自分が将来やりたい夢に近づき、自分の技術やノウハウで乗り越えることで、人間的にも磨かれた生徒を多くつくることが、友人に対する供養になるんじゃないかと。当時はあまり意識していませんでしたが、今振り返ってみると、そういう情熱が生徒に伝わっていたのかもしれません。
僕は、本当の意味で自分がやりたいことにつながっていないと、モチベーションが湧かないと考える古典的な人間です。自分のやりたいことが将来あって、その自分の将来の1つのステップとして大学受験があるので、生徒にも打たれ強くなってもらわないと困ると考えます。
ーー生徒に人気が出てくると、講師の間でやっかみやねたみはありませんか?
西谷 正直やっかみはたくさんありましたが、基本、忘れてしまいます。代ゼミの1年目、5人の講師で英語を担当したのですが、僕は早慶上智の最上位コースを担当したため、「出る杭は打たれる」で、ほかの講師が、生徒にマイナスの部分をいろいろ吹き込む。「テキストが厚すぎる」とか、西谷は「ICU出身と言っているが、本当は◯◯大だ」とか。それで、200人いた生徒が60〜70人に減っていきました。こっちは恐怖です。年契約の時給で働いていて、プロ野球の選手と同様に11月に翌年の契約を更新します。あまり人気がないと、クビになることもありますから。
噂を信じた生徒もいましたが、残ってくれた生徒もいましたので、そこに対してはきちんとした授業をしようと思いました。精神的にはプレッシャーがかかりましたが、残ってくれた生徒に対して、それまで以上に集中しました。工夫して、朗らかに明るく、誰よりも良い授業をしようと心がけました。そしたら生徒が少しずつ戻ってきましたし、自分自身の技術も磨かれました。
どの世界もそうですが、トップになるより、トップの座を維持していくことのほうが難しい。落ちそうになった時のひとつのポイントは、それをどう受け止め、「自分をどう変えていけるか」です。
●トップに立ち続ける秘訣
ーー西谷さんは代ゼミで教壇に立たれて以来、25年の間、常にトップの人気を保っておられますが、その秘訣は何でしょうか?
西谷 原点は情熱ですね。トップに立つための情熱を、いかに維持していけるか。誰でもトップに立つと慢心してしまう。まず、一番は体力ですね。今、週20コマの授業を持っていますが、入れようとすれば30は入ります。しかし、週30コマを受け持つと、その1年はよくても、その後、続かなくなります。それで空いた時間で体力をつくっています。以前はジムにも通いましたが、今はもっぱら代ゼミでエレベーターを使わず、階段の上り下りをしていて、1日平均20階分は上っていますね。1年続けると、エベレストを2回ほど登ることになります(笑)。ちょっとした工夫で楽しくなりますね。足腰も強くなって、授業にも役立ちます。階段を上る途中で考え事もできるし、年を取っても頭の回転が良くなる。
それから、旅をしますね。仕事を極端に多くしないのもそのためで、ある程度休みが取れるので、前もって予定を決めて、1年に5〜6回は海外へ行きます。違う空気を吸ってリフレッシュするのは、教えるためにも役立ちます。また、本を書いて自分の体験を振り返る。本のタイトルにもなった「dreamtime」というのはそういうことで、生活をして、旅をして、記録に残す。生活を異なる視点から見ると、活性化します。
特に書くことは大切ですね。書かないと、なんとなく日々の生活が過ぎ去ってしまう。僕の場合、2〜3年に1冊のペースで書くことで、書きながら頭を整理するので、新しい情報が入りやすくなります。
ーーそんな西谷さんが、このたび『dreamtime〜』を上梓されたきっかけはなんでしょうか?
西谷 これまで自己啓発書を3冊書いていますが、どれも執筆時間のゆとりもあまりありませんでした。今回は「自由に書いてもよい」ということで、1年半、じっくりと自分と向き合って書きました。予備校の講師を25年間続けてきた区切りにもなると思いました。
僕は今、56歳ですが、人生はだいたい30年を1ジェネレーションで回ると考えていて、60〜90歳まで、どう生きていくかをそろそろ考えてもいいかなと思いました。
大学を卒業して就職し少したった25〜26歳は、仕事がうまくいっていればそれを膨らませていけばいいと思いますが、人生にある種の違和感を感じることもあるだろうし、いろいろ複雑な時期だと思います。30歳くらいまでに、ある程度、自分のポジションを決めておいたほうがよいのではないでしょうか。そういう意味で僕は今、30年=1ジェネレーションで考えると、25〜26歳の人とかなり共通点があるといえますね。
(構成=編集部)
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