相方の死を笑いに変える――『検索ちゃん』で見せたカンニング竹山の七回忌漫談
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「最期、今夜が山だ、という日がありました。僕も僕の嫁も、だいたいわかっていました。(それまで)そういう意識不明の状態の中島の姿を、後輩に見せなかったんです。でも、もうマズいという時になり、中島が若い時からずっとかわいがっていた中田(喜之・ラブカップル)という後輩芸人がいます。そいつだけを、今夜が山だという日に病室に連れて行ったんです。中田はびっくりしていました。意識不明の先輩がいるんで。実はもうダメなんだ、という話をしたんです。(略)そこで中田に『もう最期になるから挨拶しろ』と言ったんです。この中田という男、いらんことをすぐ言ってしまう男なんです。中田は震えていました。『嫌です』と。『“嫌です”じゃない、ちゃんと挨拶しろ』と言うと、中田は中島のところへ行き、こう言ったんです。
『中島さん、頑張ってください、頑張ってくださいよ、もうすぐなんですから』
何を言っとんや! なんの『もうすぐ』や、と。でも、そん時、奇跡が起きたんです。『もうすぐですから』と言った時、中島の家族も、ふっと中田の顔を見ました。でも中島の横にあった心臓のメーターみたいのが『もうすぐですから』の時、一瞬ふっと動いたんです! でも、ハッキリ言います。殺したのは中田です!」
竹山は中島を「売れた芸人」として派手に送り出したいと考え、前日のラジオでも葬式にたくさん人が集まるように呼びかけた。その願いはかない、葬式には多くの芸人仲間やファンが集まった。
「お葬式も無事終わりました。いい葬式だったと思います。それから中島が火葬場で焼かれることになったんです。僕らの先輩でブッチャーブラザーズさんという人がいます。そのぶっちゃあさんと中島は、すごく仲が良かったんです。(略)2時間もすると人間は灰になります。灰になった中島を見た時、なんとも虚しい気持ちになりました。人間っていうのは、こうやって終わっていくんだと。みんなが思っていたんです。そん時に、ぶっちゃあさんがいらんことを言います。ぶっちゃあさんはみんなが黙って見つめている時に、こう言いました。
『あれだけでかいチンコも、死んだらなくなるんやな』
最低なヤツです、もう!」
『放送禁止2012』の2時間にわたるライブのうち、テレビで披露したネタはわずか10分弱。当初、このライブはその場限りでDVD化する予定はなかったが、「絶対に作品として残すべきだ」という多くの関係者たちの声に押され、DVDも発売されることになったという。
この七回忌漫談の冒頭、竹山は「なかなかこんなことやる芸人いない」と言った。それはそうだ。ただでさえ重たいテーマである「死」を笑いに変えるなんて難しい上、倫理的に批判されても仕方ない。相当な覚悟と技量が必要だ。
「でも、僕はやります。なぜか?」竹山は微笑を浮かべながら言う。「相方が死んだ芸人、そうそういないからです」と。
「(中島は)芸人として名前は残せたと思うんですよね。例えばのちに芸人年表ができたとしたら、2006年12月の欄に『カンニング中島死去』って多分載ると思うんです。(略)それだけでも幸せなことだと思う。載れずにやめていく人間がほとんどですから、せめてもの救いはそこかなって」(「Quick Japan」)
芸人としてはもちろん、俳優として活動するときも彼は“カンニング竹山”と名乗り、相方・中島忠幸の記憶を後世に残し続けている。
中島の葬式の直後、生放送に出演した竹山はナインティナイン岡村から「竹山、切り替えろ!」と声をかけられ、「もう切り替えとるわ!」と渾身のキレ芸でその真骨頂を見せつけた。悲しみと笑いは表裏一体である。目一杯の愛と毒のさじ加減次第で、それは劇的に切り替わる。むしろ、悲しみが深ければ深いほど、その振り幅は大きくなる。そして、ついに竹山は相方の死を笑いに変え、再び中島に光を当てることで芸人として成仏させたのだ。
(文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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