相方の死を笑いに変える――『検索ちゃん』で見せたカンニング竹山の七回忌漫談
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「一回僕ら酔っ払って、勃起したチンコ測ったことがあります。僕が13センチ、あいつが18.5センチ。頭おかしいくらいでかいんです!」
少し引く会場に「ちーん」という仏具の音が響いた次の瞬間、大きな笑いが会場を包んだ。
「これでこの話、浄化されたんでバンバン話して結構です」
竹山と中島の出会いは小学校3年の頃。クラスは別々だったが、気の合う遊び仲間として行動を共にしていた。中学では同じクラスになったが、別々の高校へ進学。その後は風のうわさでしかお互いの所在をつかめなくなっていた。
吉本興業が福岡に事務所を立ち上げると、当時大学受験に失敗し予備校に通っていた竹山は、中島同様、小学校時代からの友人であるケン坊田中とコンビを組み、「ター坊ケン坊」としてオーディションに参加。同じく決勝に進出した博多華丸・大吉らと共に吉本にスカウトされ、地元のテレビなどに出演し始めた。しかし、程なくして竹山はノイローゼになり、仕事を飛ばし上京した。
そこで中島と偶然再会し、やがて2人は東京で芸人を目指す。事務所を転々としながら仕事のない日々が続き、気付くと2人は借金まみれになっていた。そんなどん底の中、マネジャーを交え「カンニング会議」が開かれる。そこで中島は結論を出した。
「このまま辞めたら何にも残らん。何か残して辞めないと意味なくね?」
その日から1年後、同じ状況だったら芸人を辞める――。そこから「借金ばっか、バイトばっか、誰が売れてやるか!」と客に怒鳴るキレ芸のスタイルが生み出されていった。
『虎の門』(テレビ朝日系)出演をきっかけに、2003年『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の「笑わず嫌い王決定戦」に出演。これが大きな反響を呼び、ついにカンニングはブレイクを果たす。しかし、その矢先の04年末、中島が体調を崩す。
彼が病院へ担ぎ込まれる直前の収録だった『虎の門』では、「そんなことよりもウチの相方がなんかの病気で血圧が180あります!」「頭が痛いです!」と笑わせていた。そして入院、手術を経て、一時は復帰ライブを具体的に計画するまでに回復していた。しかし06年末、無情にも再発。そして肺炎を起こしてしまう。
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