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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > オードリーANNの新境地
ラジオ批評「逆にラジオ」弟11回

楽屋オチを吹き飛ばす、ネガティブ若様ご乱心の新境地『オードリーのオールナイトニッポン』

 そもそも、話が内輪ウケで閉じてしまうのは、パーソナリティーの2人だけが登場人物や事件をすでに知っていて、聴き手がそれらを知らないというケースが多い。すでに感覚を共有している2人に対し、聴き手は感覚も知識も追いつかぬまま置き去りにされるからだ。ならば逆に、話し手も聴き手も全員が知っている話をすれば内輪ウケにはならないのだが、その代わり全員にとって既知であるため、今度は聴き手を驚かせるのが難しくなる。

 そこで内輪ウケを避ける別の方法として、上に挙げた若林の2例のように、「パーソナリティーの片方だけが知っていることを話す」という手法がある。例えば、最初に挙げた若林の自己分析話の例でいえば、若林のネガティブな思考回路を、正反対のポジティブ人間である春日はまったく共有できていない。だから若林は目の前の春日を納得させるために、手を替え品を替えいろんな角度から、自分の考えや感覚を伝えようと必死に説明を試みる。それにより、若林の冷静な分析力が生かされ、話は当事者ならではの熱を帯びる。もうひとつのキャバクラ話に関しても、春日はゆめちゃんのことを知らないから、彼女がどんな娘なのかという質問をリスナーになりかわって若林にぶつける。そして若林は春日の質問に答える形で、結果的にゆめちゃんの人物像をリスナーへ詳細に伝えることになり、その行間から若林独特のうぶな女性観が浮かび上がってくる構図になっている。つまりナビゲーターとしての春日が、リスナーの立場から若林の中だけにある閉じた情報や感覚を、外に向けて開いているのである。

 オードリーはもともと非常に仲の良いコンビで、学生時代から多くの共通体験をしてきているから、これまではどうしても、2人がすでに共有している話をすることが多かった。しかしここへ来て、共有する過去話のストックが切れてきたり、別々の仕事が増えてきていることで、「片方がもう一方の知らない話をする」という場面が増えてきており、どうやらそれが、結果として内輪ウケを解消する方向へと機能している。番組開始から3年を経過し、むしろネタが切れてきたここからが、本当のフリートークといってもいい。

 ラジオという一見閉じた(しかし本当は万人に開かれている)世界の中へとリスナーを引き込むための入り口として、どういう話題を選んでいくのか。フリートークというのはその名の通り、何を話そうと自由なはずなのだが、一度ひとつの方法を選び取ってしまうと、別の方法を選ぶのは意外と難しくなる。そんな状況の中、今のオードリーには、楽屋オチ以外の魅力的な選択肢が、次々と開けてきている感触がある。それは固定ファンへ向けられた放送が、新たに幅広い層へとアピールしていくために、間違いなく通らなければならない道である。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)

「逆にラジオ」過去記事はこちらから

最終更新:2012/12/14 17:35
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