日・仏アヴァンギャルド映画監督2人に映画オタクのミュージシャン、J・オルークが迫る
#映画 #インタビュー #洋画
グランドリュー パリに戻って1~2年後、ある晩ニコル・ブルネーズ(前衛映画評論家・研究者)との食事の席で、闘う映画監督のシリーズを作る話になりました。政治的だけでなく美的にも闘っている映画監督たちです。その時、すぐに足立さんの名前が浮かんだ。お金が集まらなかったので、一人で日本へ行ってシャール・ラムロ(助監督兼通訳)と2人で4日間撮影して、2~3週間で編集しました。撮影で足立さんと一緒にいたときは、昔からの友人のような、近くにいるのがごく自然な気がしました。お互いのことをよく知らないのに、撮影はとても楽だった。ある意味、映画の中に2人でドライブしていったようなかんじでした。
オルーク あなたの短編やドキュメンタリーはまだ観ることができていないのですが、長編作品を観ると確かに足立さんと交わる部分があると思います。足立さんの作品が語られる際に、政治的な要素が主に着目されますが、もちろんそれも大事だけれど、僕が興味を抱いたのは映画監督としての足立さんでした。高校の時、アモス・ヴォーゲル(※1921-2012。多くの前衛映画作家をアメリカに知らしめた米国人シネアスト)の『破壊芸術としての映画(Film As A Subversive Art)』(1974年刊)という本で、足立さんの映画のスチールを見たのが最初です。
足立 彼は悪ガキだったから、きっと図書館で変なものを物色していたときに見つけたんだろう。
オルーク (笑)。その写真に何か心をつかまれるものがあったんです。それで足立さんが若松プロに入ってからの監督作と、脚本を担当された若松監督作品も観ました。足立さんの作品の映像は、他のどの日本人監督の映画よりも惹かれる何かがあった。日本語はまったくわからなかったけど、言語の壁を越えて映像の強さは僕に届いてきました。グランドリュー監督には、足立さんの映画はどのように映りましたか?
グランドリュー 足立さんと僕が近いと感じる一番大きな点は、身体との関係です。どうやって身体を撮って、フレームして編集するか。物語などではなく感覚の問題で、それはこの映画でも足立さんが語っています。感覚のレベルでわれわれはとても近いと思うのです。僕は『鎖陰』(1963年)が足立さんの作品の中でも特に好きですが、足立さんの映画は完全なる彼の世界です。ベイルマンの世界、フェリーニの世界のように、力のある映画監督は自身の世界を創り出します。物語や登場人物の観点からではなく、光、身体、音などすべての側面において、完全な世界であるべきです。だから足立さんの映画に魅せられるのだと思います。
オルーク 冒頭のブランコのシーンで、声も姿も確かにそこにはっきりあるのに、同時にとても幻影的なのが印象深かったです。その後の新宿駅のシーンは、ちなみに僕もその近くに住んでいるのですが、『新宿泥棒日記』(大島渚監督/田村孟、佐々木守、足立正生脚本/1969年)の最後のシーンと同じ場所ですね。あのシンプルなショットの中に、ある意味、足立さんのすべてが内包されているようでした。もちろん、映画の中に思考や洞察や議論が出てきてはいますが、映画全体が触覚的ですね。ほとんどの映画作家は、思考の流れに沿って、それを映像で表現しようとします。思考そのものになろうとするのではなく、表現しようとしてしまう。
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