単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語
#サブカルチャー #バック・トゥ・ザ・80'S
野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。
「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」
そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1~2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。
「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」
「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。
■最大のライバル「ファミコン」の出現
野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。
当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。
その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。
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