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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 『キラキラ』後釜番組は面白い?
ラジオ批評「逆にラジオ」弟10回

小島慶子の幻影を振り払う、赤江珠緒の「うっかり道」『たまむすび』

 確かに、それはもちろん人気者の一つの典型ではあるのだが、同じくTBSラジオでパーソナリティーをしている伊集院光や爆笑問題の太田光、おぎやはぎの小木が公言しているように、小島を苦手だという人も多く、彼女の自己主張は面白いこともあれば、いきすぎて説教臭く感じることも多い。それに対し番組内で「オジキ」という愛称を授けたライムスター宇多丸はさすがの慧眼だが、『キラ☆キラ』とはつまり、「小島という教師が、サブカル畑のパートナーやリスナーという生徒たちを相手に、自分の意見・主張をぶつけていく」という対立構造を原動力としていた。意見の対立は大きな熱を生みだすから、SNS上でも派手に盛り上がりやすいし、逆に厳しい先生が生徒の意見をすんなり受け入れた際には、それはそれで珍しい出来事として価値が上がり話題になる。

 もちろん、そういう形を全否定するつもりはない。その代わり、全肯定するつもりもない。「小島が『キラ☆キラ』で作り上げた形は、けっして唯一無二の理想形ではない」ということだ。ラジオの世界はもっと広い。そういう意味で、『たまむすび』の中で赤江は、ようやく自分なりの形を見つけ始めている。

 その変化のきっかけとして象徴的なのは、10月から始まった「おばあちゃんのつぶやき!」というコーナーである。南海キャンディーズの山里亮太をパートナーに迎えた火曜日の14時台最初に配置されたこのコーナーは、老婆のナビゲーションで番組レギュラー陣の問題発言やミスをわざわざ紹介して糾弾していくという、正直「内輪ウケ」のコーナーである。

 要はNG集のような企画なのだが、この揚げ足取りのようなコーナーが『たまむすび』全体の、さらには赤江というパーソナリティーの魅力を確実に掘り当て、凝縮しているのである。特に赤江の、番組開始当初の集中力が完全にどこかへ飛び去ってしまったかのようなミスや思い違い、いい加減な発言が妙に光り輝いており、早くも「女高田純次」の称号を授かってもいいのではないかというレベルにまで接近している。「ビートルズのメンバーの名前は?」と訊かれて、「ポールとマッカートニー」と回答。読むべき原稿をすっかり見失って「ペラペラペラ」とあちこち探しまわる音のみ長時間響かせる。「『モーニングバード!』で木みたいな服着てたよね」と他番組でのファッションセンスまでもイジり倒される。「天然ボケ」というよりは、単純に「かなりいい加減な人」という印象で、テレビや『たまむすび』開始当初のイメージからは相当な飛距離がある。そしてその隙が、不思議と彼女の人間的魅力につながっている。

 赤江は以前、「子どもの頃にセミを取ってパンツに入れていた」というエピソードを披露したことがあって、そこには天然系のポテンシャルが垣間見えたが、確率的にはまぐれ当たりのようなものだった。しかしこのコーナーに触発されたのか、近ごろは安定して「うっかりミス」を供給するようになっており、ユーミンの好きな曲を訊かれて「卒業アルバム」(正解は「卒業写真」)、「ラマーズ法」を「サマーズ法」と言い間違えてみたり、「オリンピックのタイミングでつい巨大な世界地図を買ったが、デカすぎて貼れずリビングに放置」という向こう見ずな行動を告白したりと、完全にパンドラの箱を開けてしまった無双状態になっている。

 何よりも人間的魅力が番組の面白さに直結しやすいラジオというメディアにおいて、パーソナリティーがどこまで心の扉を開いていくのか、あるいはリスナーやスタッフの力で開かれていくのかというのは重要なファクターだが、その開き方も、開くタイミングも、人間の一生と同じく千差万別である。もちろん自力でガンガン開いていく小島のようなタイプの人もいるし、一枚も開けずに番組が終了してしまう人もいる。だが、前任者の残したインパクトの大きさを考えると、赤江が開始半年にしてようやく離陸したのは必然ともいえるだろう。赤江珠緒には新しい「昼の顔」となるべく、「うっかり道」を迷わず邁進してほしい。その先にはきっと、小島とはまったく似ても似つかない「向こう側」が見えてくるはずだ。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)

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最終更新:2012/11/30 12:09
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