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本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」

なぜ彼女は“芸能界のお母さん”と呼ばれたか? 大女優・森光子さんを偲ぶ

41bit2vF+oL._SL500_.jpg『女優 森光子』(集英社)

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 大女優の森光子さんが、11月10日に肺炎による心不全で亡くなっていたことが明らかになった。

 筆者は、森さんが長年所属していた「吉田名保美事務所」の元マネジャーで、森さんを担当していたH氏と親しい間柄だった。現在のH氏は芸能界を離れ、医療関係の仕事をしているが、森さんの生前、同氏から「なぜ森さんが“芸能界のお母さん”と呼ばれて、誰からも慕われていたのか」という理由を聞いて納得した。

 今から約40年前、マネジャーを担当していたH氏に長男が誕生。その際、森さんから10万円という、当時にしては相当な大金をご祝儀でもらったという。TBSドラマ『時間ですよ』に出演している時も、入りたてのADが結婚したことがわかると、同じように10万円のご祝儀を包んだという。

 金銭の問題ではない。分け隔てなく、周囲の人間に気を遣う心配りの人だったから、あそこまで慕われたのだ。裏方だけではなく、後輩の女優たちにも慕われていた。当時、同じ事務所に所属した沢田亜矢子は、森さんから仕事のイロハを教えてもらっただけでなく、高価な着物を何着ももらったという。

 森さんは、フジテレビの番組審議委員を務めていたが、フジのワイドショー『3時のあなた』の司会を長年務めていたこともあり、フジのドラマ関係者とも縁が深かった。東映にいた佐久間良子は、“不倫”がウワサされたフジのディレクターだったS氏を通じて森を紹介され、その影響で吉田事務所に移籍。日活に所属していた松原智恵子も、森さんを頼って日活から吉田事務所に移籍した。

 その吉田事務所には一時、森さんをはじめ、佐久間、松原、和泉雅子、桃井かおり、沢田亜矢子、それに黒柳徹子といった、そうそうたる女優が所属。現在は黒柳しか所属していないが、20数年前は今の「研音」と同じように“女優の宝庫”と呼ばれた。これも森さんの陰の力があってこそだった。

 そんな誰からも愛された森さんは、なぜか、男運には恵まれなかったようだ。

 1959年に、TBSの名作ドラマ『私は貝になりたい』の演出を手掛けた演出家で、5歳年下の岡本愛彦さんと結婚したが、4年で離婚。その後、文豪の水上勉さんとの関係がウワサされたが、結ばれることはなかった。

 森さんの関係者の間で鮮明に残っている“男性の記憶”としては、元TBSデイレクターで、その後、音楽家に転身したW・Tさんとの不倫だったという。『アタックNo.1』や『キューティーハニー』など、数々のアニメソングを手掛けたWさんは妻帯者だったが、それを解っていながら、森さんは、はたから見ていて気の毒なほどWさんに尽くして尽くして尽くし抜いた。森さんのマンションには、いつ来るか分からぬWさん用の部屋があり、そこにはピアノが置かれていたとか。そのWさんは、平成元年に56歳の若さで急死した。

 Wさんの死後、46歳年下のジャニーズ事務所の東山紀之との関係が報道された。ヒガシが女優の木村佳乃(その後、結婚)と婚約を発表した際に、森さんはヒガシについて「プラトニックな恋ですが、この関係は死ぬまで続くと思います。友達以上、恋人未満」と、うれしそうに語った。離婚、不倫と男には恵まれなかった森さんは死ぬまで、ヒガシにプラトニックラブを抱き続け、女の幸せを噛みしめていたのかもしれない。

 そんな“芸能界のお母さん”に、あらためて合掌!
(文=本多圭)

最終更新:2012/11/16 12:00
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