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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.193

“無意識の湖”に身を投じたユングと女性患者の行方──クローネンバーグの恋愛サスペンス『危険なメソッド』

kikennna_1.jpgデヴィッド・クローネンバーグ監督の最新作『危険なメソッド』。
同名舞台の映画化。東海テレビの昼ドラもびっくりな、怒濤のメロドラマが繰り広げられる。

 フロイトとユングといえば精神分析学を語る上で欠かせない2大ビッグネームだが、その2人に多大な影響を与えたひとりの女性がいた。その女性から刺激を受けたことで、フロイトは“タナトス概念”を、ユングは『アニムス・アニマ論』を生み出したと言われている。ただし、その女性はスキャンダラスな存在だったため、歴史から名前が抹消されてしまった。その女性とはロシア系ユダヤ人のザビーナ・シュピールライン(1885〜1942年)。18歳のときに精神患者として、精神科医になりたてだったユングと出会い、症状の回復と共にユングと愛人関係になった。既婚者だったユングは医学界でこのスキャンダルが発覚することを恐れ、一方的に別れを告げる。その後、ザビーナ自身も精神科医となり、ユングの師匠であったフロイトに招かれて精神分析学協会に参加するようになる。フロイトとユングとザビーナは、まるでビリヤードの球のようにお互いを衝き合った。20世紀初頭のヨーロッパで、奇妙な三角関係を描きながら転がり続けた。『スキャナーズ』(81)、『ザ・フライ』(86)から『イースタン・プロミス』(07)に至るまで一貫して人間が変化、変容する様を描いてきたデヴィッド・クローネンバーグ監督が、男と女の心変わり、師と弟子との立ち場の移ろいをケレン味に走らずにしっとりと描いている。

 時代は1904年。日本がちょうど帝政ロシアとの日露戦争に突入した頃だ。スイス・チューリヒの大学病院に、18歳の少女ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)が運び込まれてくる。裕福なロシア系ユダヤ人の家庭で育ったザビーナは、思春期からずっと精神を患っており、ロシアからはるばるスイスまで最新の治療を求めてきたのだ。エリート精神科医のユング(マイケル・フェスベンダー)にとっては初めての患者。フロイトが提唱したばかりの“談話療法”をザビーナに試してみる。どうやらザビーナは幼少期の体験が原因で、トラウマを抱え込んでいるらしい。ある日、ユングはザビーナを森への散歩に誘うが、ユングがザビーナのコートに付いた土ぼこりをステッキで叩き払おうとすると彼女は表情を一変させる。ステッキがコートを叩く音を耳にしただけで、ザビーナの乳首はキィーンッと硬くなるのだった。ザビーナは幼い頃に厳格な父親から折檻された際に、屈辱と同時に快感を覚えたことを告白する。心を丸裸にされたザビーナはユングのことをすっかり信頼し、またユングは観察力の鋭いザビーナに自分の研究を手伝わせるようになる。すべては治療の一環だった。症状が回復へと向かったザビーナは、ユングが教壇に立つチューリヒ大学医学部に入学。医者と患者という立ち場を離れ、非常に親密な関係となっていく。

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