「この社会情勢が続く限り、どこかでまた起こる」2カ月間の“お祭りデモ”とはなんだったのか?
#原発 #デモ
――テレビや新聞の報道では、このまま原発依存を続けるのか、脱原発路線を目指すのか、いまだに混迷を極めている感がありますが、社会は動いているといえるのでしょうか?
小熊 物事は多元方程式のように進んでいきます。それは、デモをやったけれどすぐに原発が止まらなかった、じゃあ意味がない、というほど単純なものではないし、すぐには結果が見えづらい。けれど、水面下では確実に影響しています。
またデモに参加した経験を持った人は、また何かあれば動きます。数十万人単位でデモ経験者が生まれ、社会の中でも忌避感が薄れたというのは無視できないですよ。経験者の中から自分で運動を主催する人も出てくるだろうし、政治家を目指す人もいるかもしれない。
この事故が20~30年前の、原発も伸び盛りで日本経済も全盛だった時期に起こっていたら、おそらく情勢は違っていたと思いますが、今は違う。東大の原子力工学科が、2001年には造船学科や鉱山学科と合併になってしまったくらい、原発産業はもともと行き詰まっていた。政治家も、自民党全盛期は遠く過ぎ、町内会や商工会を地盤固めすれば当選できるといった、今までのやり方が通用しなくなったことはわかっている。今回の再稼働にしても、経団連と電力会社に話をつけて、官庁に情報を集めてもらい、県知事と地方議員が地元の商工会や町内会を固めれば、それで大丈夫と思って判断したけれど大反発を食らった。もう昔のやり方は通用しない。そして彼らが把握できていない無党派層が、デモに来ているわけですからね。
――それでは今後、日本はどうなっていくのでしょうか?
小熊 だんだん普通の先進国に近づいていくでしょう。日本が先進国の中で「ユニーク」と呼ばれた特徴、例えば経済的に先進国化したのに政治や政治意識のレベルが低いまま、という状態があった最大の要因は、ほかの先進国が不況の中で政治意識が上がっていった1970~80年代に景気が良かったことです。経済が良かったから、政治が三流でも、消費だけやって社会に無関心でも済んだ、というだけです。その時期に作られた、終身雇用とか公共事業とかの仕組みが崩れれば、“普通の先進国”になるというのは自然の成り行きです。“普通の先進国”の現状が明るいものかどうかに関して疑問符が付きますが、今以上に自分で物事を判断して、自分で動くことが求められるでしょう。だったら、今のうちから、デモに参加したり自分で声を上げたりする練習をしておいたほうがいいと思いませんか?
(文=編集部)
●おぐま・えいじ
1962年、東京生まれ。87年、東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、98年、東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。著書に『1968』『<民主>と<愛国>』『<日本人>の境界』『単一民族神話の起源』(以上、新曜社)、『日本という国』(イーストプレス)、『私たちはいまどこにいるのか―小熊英二時評集』(毎日新聞社)などがある。
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