「この社会情勢が続く限り、どこかでまた起こる」2カ月間の“お祭りデモ”とはなんだったのか?
#原発 #デモ
今夏、霞が関の官邸前周辺では異様な事態が起こっていた。毎週金曜日の18時から20時の2時間、脱原発を求める人々が続々と集まり、「再稼働反対!」「子どもを守れ!」というシュプレヒコールと共に、ジャンベやドラムの音が鳴り響く。いかにもな雰囲気の活動家や主婦、子ども連れの母親、スーツを着たサラリーマン、フリーター風の若者……。お手製のプラカードや旗を掲げ、それぞれのスタイルで官邸に向かって抗議する。それは、ひと昔前の過激なデモとは180度異なる、自由でにぎやかで、それでいて“もしかしたら何か変わるかもしれない”という、妙な期待感を感じさせる光景だった。
このデモを主催しているのは、首都圏反原発連合というグループだ。今年3月末のスタート時の参加人数は、わずか300人程度。その後、回を重ねるごとに1000、3000、5000、1万と増え、大飯原発再稼働を間近に控えた6月25日には10万とも20万ともいわれる人々が集まり、その後、約2カ月にわたってお祭り騒ぎとなった。
いったいこの“お祭り”デモとはなんだったのか? 慶應義塾大学教授で、著書『社会を変えるには』(講談社現代新書)で日本の社会運動の歴史や3.11以降の日本の社会情勢について記している小熊英二氏に話を聞いた。
――小熊さんは震災以降、さまざまな脱原発デモに参加されていますが、官邸前デモを主催している首都圏反原発連合(反原連)とは、どのような関係なのでしょうか?
小熊英二氏(以下、小熊) 官邸前デモには今年の6月から通っています。反原連はそれまで別々にやっていた13のグループが集まってできていますが、官邸前に参加する前から彼らの半分くらいの人は、昨年来の別のデモで一緒に歩いたことがあったので、お互いに顔は知っていました。とはいえ、私が大学教授だと知らない人も多かったと思います。「デモでよく見る人だから」ということで信用されたんでしょう。
――8月22日に行われた反原連と野田首相との面会の際には、仲介人としてご出席されました。どういった経緯で面会が実現したのでしょうか?
小熊 反原連は以前から首相に要請文を渡そうとしていましたが、うまくいかなかった。どうにか展望が開けないかという相談を、スタッフの一人から7月下旬に受けたんです。それで、私は今年5月に菅直人さんに戦後史のレクチャーをして面識があったので、こんなに民衆から声が出ているのだから、政治がなんらかの形で応えたほうがいいと連絡を取った。菅さんは最初「私が会いましょうか?」と言いましたが、それでは陳情みたいになってしまう。そこでまず7月末に、菅さんなど脱原発志向の超党派議員と、反原連の対話集会を公開で行ったんです。そこで反原連側が「首相に会わせてほしい」と強く訴えて、菅さんは「わかりました」と応えた。それから3日して電話があって、「首相が会ってもいいと言っている」ということになったんです。
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