計算尽くされた演出なのか、デタラメなのか……『水曜どうでしょう』はなぜ面白い?
#テレビ
一方、カメラ担当うれしーは、こんな発言をする。
「被写体と、どれぐらいの距離で撮るかっていう。それがなんかいつも、ありますよね。(中略)2004年にクマンヌガラというジャングルに行ったとき、ホテルからバスが出るんですけども。乗っても、待っても、ほかにだれも連れが来ないんですよね。客が。(中略)すると何となく居心地の悪そうな感じの2人がいるわけです。その状況を撮るときも、やっぱり距離っていうのはこの辺だろうとかっていうのがあって。近いでも遠いでもない、中途半端な距離で、2人の『うーん』という感じ」
後の編集作業を意識して笑っている藤やん。常に距離感を考えてカメラを向けているうれしー。あのテキトーでいい加減に見える『どうでしょう』の番組作りも、実は計算し尽くされた演出なのか?
もっともこの2人、こんなカッコイイことを語っていながら、一方で自分たちの番組のことを「シメはドラ一発ジャーンっと鳴らして『はい、終了』となれば終われる」と開き直ったり、「大泉は実は、カメラに写ってないほうが面白いことを言う」と評してみたり、番組を面白くしようとしているとは思えない無責任発言も連発している。
さらにうれしーに至っては、「番組開始直前まで、カメラの説明書を読んでいた」という、プロとは思えないエピソードを藤やんに暴露される始末。
きちんと考えているのか、やっぱりテキトーなのかよくわからないが、実はこの曖昧さ、わけのわからなさこそが、『どうでしょう』の面白さの根源なのかもしれない。テキトーかと思えば真面目、計算かと思えば行き当たりばったり、デタラメかと思えば真剣。
そういえば、アカデミックな手法で『どうでしょう』を分析した同書も、心理テストの投影法を例に挙げ、曖昧さ、わかりにくさこそが番組の魅力になっていると書いている。
「理解し尽くせないもの、隙間が空いたものを見ると、見ている人は自然と自分自身をそこに持ち込んでいきます。ですから私たちは、『水曜どうでしょう』を見るときは、ただ見るのではなく、そこに『入っていく』のです」
なるほど。しかし、わからないから面白いのだとしたら、『どうでしょう』の面白さは結局、最後まで謎のまま、ということになってしまうのだが……。
(文=須田林)
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事