裏カジノ、振り込め詐欺にクリカラモンモンまで!? AKB48創設者の黒い過去
#元木昌彦
第2位は新潮が掲載した話題の記事。松下忠洋金融担当相(73)の長年の愛人だった時任玲子(70)の告白である。
この記事が出ることに悩んだのか、松下金融担当相は発売2日前の9月10日に自室で首つり、自殺してしまったのだ。
報道によれば、室内から「密葬にしてくれ」などとする、首相、閣僚、妻宛計3通の遺書が見つかったそうである。
これまでも週刊誌には数多の男女のスキャンダルが掲載されたが、自殺者を出すというケースは稀である。彼が死を選ばなくてはならないほどの内容が新潮に書かれていたということか?
愛人だった時任が松下と初めて会ったのは、91年1月のこと。彼女は鹿児島の高校を出て水商売に入り、神戸の大型キャバレーでトップになって、80年にラウンジバーを始めた。そこへ、当時建設省砂防課長だった松下が二人の共通の知り合いに連れてこられ、同郷ということで意気投合する。
当時の彼女と現在の写真の二枚が載っているが、新潮の書いているように加賀まりこ似の美人である。
二人は10月に「東京で出会った時、ホテルで男女の仲になりました」(時任)
松下に妻子がいたとしても、ここまではよくある男女関係に過ぎない。
だが、続いてそのころ、彼が彼女に出した手紙の全文が載っている。
「玲さま いつもこまやかな心のこもったお便りありがとう いつも3回ほど、繰り返し読んでいます。そして、初めて肌を重ねた熱いニューオータニの朝のベッドを胸キュンで思い出しています。そして加納町のオリエンタルホテルで朝まで過ごしたダブル(×)シングルベッド、いつの間にかおなかを出して、スキだらけで眠ってしまっている玲子姫の白い肌をドキドキして思い出しています」
寝ている彼女の大切なところにキスしていたことなどを書き連ねている。
その後、建設族のドンといわれた金丸信元副総裁のバックアップで、93年の衆院選に自民党候補として出馬し、初当選する。
二人の不倫関係はその後も続く。時任は彼とのSEXをこう語っている。
「松下さんのエッチは品がなく、乱暴でした。自分本位ですごく慌ただしいんです。体位をコロコロ変えるし、動きが素早かったですね。手で激しく責めてくるんです。(中略)
部屋を出る際に、松下さんは“お化粧代”としてお金を渡してくれました。だいたい5万円から10万円、多くて30万円でした」
二人の逢瀬は年に2~3度しかなかったそうだ。
松下は一度落選するも、09年に国民新党から立候補して政界復帰を果たし、鳩山由紀夫内閣で経済産業副大臣になる。
その年、彼女は神戸のラウンジを閉めて鹿児島に戻る。
そのころから、松下がテレホンセックスを求めるようになったと、彼女は語っている。
「松下さんから“電話をちょうだい”というメールが入ると、それが合図になって、しました。だいたい朝4時から5時が多かったですね。(中略)松下さんは電話でエッチをする時はすごく優しくなるんです。口数もいつもより増えますし、何か慣れている様子で、私に対して触る場所を優しく指示してくれました」
彼が彼女に送ったメールを2通載せている。一つにはこうある。
「早く一つに繋がりたいです。いろいろ貴女を探検したいです」
だが、だんだん松下からの連絡がなくなり、地元へ帰って来たときも、翌日の新聞やテレビで知ることが多くなった。
2011年3月11日の東日本大震災が起き、松下は原発現地対策部長として福島に入り、多忙を極めるようになる。
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