『ガレキ』──日本を席巻した200日の瓦礫問題が投げかけた震災後の「当事者性」【後編】
#東日本大震災
■問われたのは自分自身だった
丸山 市民が声を上げることにはもちろん意味があります。ただそうした声には代案が伴わないことが多い。脱原発、クリーンエネルギーへの移行を唱えつつ、同時に不景気を拒否し、生活レベルの維持を求めていては、リスクも背負わず代案も提示しない文句になってしまう。
萱野 文句を言うだけの立場は政策決定に責任をとらなくていい。しかし決定をする側に立つと、自分がクリーンな立場にいられるかどうかだけでは物事が進められません。責任を負うには、あっちを立てればこっちが立たずという中で、ベターな道を選んでいくしかない。
丸山 陸前高田市の戸羽太市長は、市長選に当選して一ヶ月後に震災に遭い、ご夫人も行方不明になってしまいました。取材でお会いした時には、ご夫人のことは整理がついたと仰っていました。それでも、お子さんたちに何もしてあげられていないということについて、何度か涙ぐまれていました。お子さんたちが市長の苦悩を悟って我慢している姿を見た時に、情けなくてしょうがなかったとも仰られていました。そういうことも抱えながら責任を持ち決定する任にあたっている。「何かあった際に責任をとるといっても、職を辞するだけだろう」などとよく言われますが、当人のその後の人生を考えたら、責任をとって公の職を辞めるというのは結構なダメージであるはずです。
萱野 いろんなことを背負いながら任務にあたっている人たちがいます。福島の遺体捜索が遅れた地域でも最後まで捜索にあたったのは、現地の警察官。彼らは被曝するのを覚悟の上で、身を呈して活動している。
丸山 今回の本では求職中の若者にもインタビューしています。はたから見れば無職の青年ですが、彼は被災時には臨時職員として働いていました。身分としてはアルバイトになるわけですが、職員と同じように働いて、それこそ遺体をケアしたり避難所の運営にあたったりしていました。自分の家も被災した状況でそういうことをやっている。それだけ公に尽くした果てに、今は無職なわけです。そういった人たちの声がもっと届けられていいはずなのですが、瓦礫の受け入れや原発再稼働に反対するような大きな運動の声の方ばかりに注目がいってしまう。
萱野 震災瓦礫の危険性に過剰反応してしまうとそれしか見えなくなって、冷静になれずに声を上げてしまう。瓦礫受け入れ反対の運動が、被災地に心理的なダメージを与えていることに思い至らない。そしてそのことが“クリーンな言葉”で正当化されてゆく。客観的に測れないのがリスクなので、それぞれの反応が主観的な要素に左右されてしまうのは仕方がありません。けれども主観的なものが入るだけに、そこには各人の人間性などが反映されることになります。
丸山 震災瓦礫問題で問われたのは、自分自身でもあったということですね。浮き彫りになった自分を見つめることは大事です。それが、どんな姿であっても変えることはできませんから。最後に被災地の取材をするたびに思うことがあります。離れていて、どんなことを言っても、しょせん他人事だと思ってもいいから、震災に無関心になることだけは避けて欲しい。極端かもしれませんが、それだけは本当に強く思います。
(取材・構成=香月孝史 http://katzki.blog65.fc2.com/)
●まるやま・ゆうすけ
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。1977年宮城県仙台市生まれ。考古学を専攻し國學院大學大学院修了後、日雇いや派遣労働などを経てビジネス書出版社に勤務。その後、フリージャーナリストとなる。裏社会の要人や犯罪者へのインタビュー、国内外の危険地帯への潜入取材を得意とし、これまで週刊SPA!、週刊現代、FLASH、週刊アサヒ芸能、日刊サイゾーなどの各媒体で北九州連続企業テロ事件、東日本大震災の火力発電所原油流出事故、避難所の性問題、福島原発5km圏内の被災動物などのルポを発表している。
●かやの・としひと
1970年、愛知県生まれ。03年、パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。津田塾大学准教授。主な著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた』(青土社)など。近著に『最新日本言論知図』(東京書籍)、『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)など。
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