酒屋を次々と“コンビニ”に変貌させた「知られざる日本の国策」
#ブラック企業 #Business Journal
――スーパー側の論理とは?
新 73年に大店法(大規模小売店舗法:大規模小売店に出店に際し中小小売業との調整を行う法律。00年に廃止された。)が制定されます。この法律により大型スーパーは簡単に出店できなくなった。そこで大型スーパーを運営する企業は、企業拡大のため、ひとつの突破口としてコンビニを考えた。自らのスーパーは出店できないが、今までは敵対していた商店街の商店を自社系列のコンビニにすれば、企業拡大が望め、自分たちの利益にもなる。そうした商店街側の問題とスーパー側の思惑が合致し、コンビニが増えていきました。
――日本と海外のコンビニを比べると、日本のコンビニは特殊だと言われます。
新 それは、日本のコンビニが、商店街を形成している商店の店舗面積を前提にしたフォーマットに沿っているからです。どのコンビニも、零細小売店が持っている土地にコンビニをつくることを前提にしていたため、30坪程度という商店街の1店舗面積をフォーマットとし、そこにいかに多品種の商品を置いていくかということが考えられていったのです。一方、コンビニの発祥地であるアメリカでは、ロードサイドのガソリンスタンドにコンビニが併設されていることが多く、また、そもそも店舗面積がそこまで狭くありません。
もうひとつ日本のコンビニの特色として、コンビニのオーナーにはこれまで商店を経営していた人たちがなっていった。商店経営というのは旧来、夫婦で営む家族経営が多く、その人たちが当時新しいといわれていたコンビニのオーナーになっていった。ある種、「古い革袋に新しいお酒を入れる」ようにコンビニは展開していきました。ただ、負の部分もあります。日本のコンビニは夫婦で経営することを前提としたフォーマットなので、ひとりのオーナーで営業できるようにはつくられていないのです。ひとりで24時間の店を管理することはできません。つまり、「最新の商業フォーマットを備えたコンビニ」とよく喧伝されますが、その一方では古い商業秩序に依存しているんです。
――コンビニが増えたことでの問題点はありますか?
新 コンビニは多品種販売で成り立っているので、酒もタバコもなんでもある。ある地域の中にコンビニがひとつあれば、それで買い物が済んでしまう。それに対し、商店街というのは、もともとひとつの品種に対し、ひとつの専門店が連なるものとして構想されました。商店街を形成する店が共倒れしないよう、一品種、一商店という形で競争を平和的に解決してきましたんです。また、そうした形態を取ることで、一つひとつの商店が、特定の品種に対する専門家として地域の消費者に対し、品質の良いものを提供してきた。そして、できるだけ多くの人たちが商業を営む環境を整えてきましたが、コンビニの出現によりそれが崩れました。
――地域社会にコンビニひとつあればいいのか、という問題もあります。
新 コンビニと商店街、あるいはショッピングモールと商店街を比べて、どちらが消費者にとって便利なのかという議論がいまだに行われます。しかし、商店街は消費だけに限定された空間でしょうか。私は、東北の被災地に定期的に訪れていますが、商店街がない街では復興が遅いという厳然たる事実があることに気づきました。
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