「『圏内の歌』は避難勧告の歌じゃない」言葉にならない無数の歌と向き合った七尾旅人の500日
#音楽 #インタビュー
例えば、福島で出会った人たちの「ふっ」というつぶやき。その一見わかりにくい、小さな言葉の中に歌を感じたんです。だから、自分の中の感情もあまりシンプルにせずに、本当の意味で歌いたいことを歌おうと思いました。強い言葉の陰で、相変わらず圧迫され、追いやられたまま痛めつけられている人もまたいて、そういう小さな歌声が、自分の中ではとてつもなく重い大きなものに聴こえたんです。一行のキャッチコピーにはできないような、複雑な悲しみとか喜びを、うまくすくい上げられないかなって。
――そういう小さな歌声に耳を傾けるために、南相馬のご友人の家に泊まり、たくさん曲を書かれたそうですね。
七尾 はい。それだけを集めてアルバムを作ることもできたけど、それも違う気がしたんです。そうじゃなくて、震災以降の自分のちっぽけさとかずるさとか小汚さとか、一口には捉えきれない今というものを映し出すには、「こんなアルバムなんです」ってシンプルにプレゼンできるようなものを作っちゃだめだと思ったんです。とにかく、正直に、人間の小ささや、本当にうれしかったこと、本当に悲しかったことを入れようと思った。自分の身の丈から言葉を発したかったんです。
――アルバムに収録されている「圏内の歌」は、「子供たちだけでも/どこか遠くへ/逃がしたい」という強烈な歌詞が、話題になりました。
七尾 放射能が降り注ぐ環境の中で、それでも表向き笑顔で生きている女の人が主人公の曲なんです。福島の友達に聞く話と東京で伝えられている情報の齟齬、スキマがいろんな形で埋められるべきだと思っていたので、こういう曲ができたんだと思います。避難勧告の歌だと誤解されがちなんですが、そうではない。例えば、自分の家を追い出されてもう帰れないし、仕事も失って、それなのに罪悪感も持っていたりするんですよ。「私たちが放射能ばらまいた」みたいな。悲しみ、怒り、罪悪感、悔しさとか、一口でなんてとても言えないんですよ。すごく複雑で、なかなか言葉じゃ捉えきれない。音とメロディとリズムを総動員して、なんとかパッケージしないと、捕まえ損ねてしまう。
――ご自身にとってもとても大切な曲だと思いますが、約1年半歌い続けてきて、何か気持ちの変化などはありましたか?
七尾 昨年5月に作曲したばかりの頃は、渦中でそれを歌い続けることに葛藤もありましたが、1年以上たつと、歌うたびに僕自身がそのときの感覚を鮮明に思い起こし、再考し続けるための装置にもなっています。たぶん新聞記事だけだったら、100年後は、まるで太平洋戦争中の新聞と同様に、共感しづらいものになる。政治や科学やジャーナリズムの言葉だけでは、よくわからない。でも、そこに音楽、あるいは映画とか、文化がついてきて初めて、そのときどんな人がどんな複雑な気持ちを抱えて、どんなことを恐れていたり、どんなことに喜んでいたかが、やっと見えてくると思うんですよね。
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