誤審や買収疑惑で国中からバッシングを受けることも──協会も守ってくれない審判の弱さ
#オリンピック
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──国の代表として、華々しく五輪の地に立つスポーツ選手の陰で、公正なジャッジを下すべくあくせくと働くのが審判たちだ。しかし、そんな”縁の下の力持ち”ともいえる審判には、五輪において誤審や買収疑惑といった騒動が度々ついて回る。なぜ審判をめぐる問題は絶えないのか? 知られざる審判制度の不備に迫った──。
近年の五輪では、国やスポンサーによる待遇の向上、科学トレーニングの発達などで、選手のレベルが上がる一方、プレーの高度化やルールの複雑化によって誤審が起こり、審判へのバッシングが起こることがままある。有名なところでは、日本中で波紋を呼んだ、2000年のシドニー五輪の柔道100キロ超級決勝の篠原信一対ダビド・ドイエ戦。内またを仕掛けてきたドイエを、篠原が返し技の”内またすかし”で背中から落とし、誰もが篠原の一本を疑わなかったが、なぜかドイエに有効のポイントが付き、篠原は金メダルを逃した。審判が篠原の高い技術を一瞬で判断できず、”世紀の大誤審”とまで言われたこの一件をはじめ、明らかな誤審は”審判買収”や”八百長”の疑惑が持たれることにもつながり、世間で批判を受けることもある。事実、左ページで紹介しているように、不可解な判定が疑問視され、審判の買収が発覚した例もあまた報告されている。機械判定技術が発達しているのにもかかわらず、世界最高峰の舞台である五輪で誤審をはじめとする審判を取り巻く問題が噴出するのはなぜか。改善される余地の見えない審判問題について、各識者たちの声から、その原因や構造的不備を探っていきたい。
そもそも五輪では、ライセンス制度が確立されているサッカーや、審判学校があり、日米でプロ制度が整備されている野球といった競技とは違い、アマチュア審判が試合を裁く場合がほとんど。審判らは各競技の協会や連盟に所属・登録してはいるが、基本的に兼業で審判をしており、フルタイムで練習できる選手に比べ、技術向上のための訓練がしづらいのが現状だ。競技成績の振るわなかった選手が審判に転向することも多く、それぞれ競技経験はあるものの、現役や世界レベルで活躍する選手に比べ、その実績は一段も二段も下がる。これまで多くの五輪中継に携わり、現在はスポーツプロデューサーとして活躍する杉山茂氏は、誤審が起こる理由をこう分析する。
「選手の技術や戦術の向上に対して、審判の技術が未発達なんです。現役選手に比べ、体力も落ちていて、高度なプレーを一瞬の判断でジャッジするのは至難の業です」
ならば、人間の目では追えないプレーは機械判定に委ねてしまえばよいのでは、という意見も聞かれるようになったが、現状はまだまだ人間による判定が主流で、機械判定の導入には慎重な競技がほとんどである。五輪という正確な判定が求められる舞台でも、遅々として導入が進まないのはなぜか。
「それは”試合の流れ”などのように、そのプレーの一瞬だけを切り取った映像では、判断しきれない要素がスポーツには多いからです。五輪競技ではないですが、相撲の”死に体”(相手の体が土俵の外や土に付いたとしても、自身の体勢を自力で立て直せないほど崩していた場合、勝ちを認められない)などはそのよい例でしょう」(杉山氏)
杉山氏と同じ理由で、「スポーツは人間が判定することを含めて価値がある」と語るのは、中京大学スポーツ科学部教授の近藤良享氏。近藤氏は、五輪を「スポーツの祭典以前に人間の祭典」とし、審判をめぐる根本的な問題を指摘する。
「現状は、選手から審判への敬意がないんです。言葉は悪いですが、一流選手になれなかったプレーヤーが審判になっていると見下している面もあります。審判は専門性があるにもかかわらず認知度が低く、弱い立場にいるといえます」(近藤氏)
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