“神様”との出会いと別れ、そして旅からの帰還 ドキュメンタリー『アニメ師・杉井ギサブロー』
#映画 #パンドラ映画館
東映動画では大塚康生の指導のもと、『白蛇伝』に動画マンとして参加したギサブローだが、やっと入社できたはずの東映動画をわずか3年で退職してしまう。宮崎駿、高畑勲ら錚々たる人材を輩出することになる東映動画の中で、新人時代のギサブローは動画マンとしては凡庸で、才能を発揮するには至らなかった。ギサブローは新天地を求め、“漫画の神様”手塚治虫が立ち上げたばかりの虫プロに移籍。『鉄腕アトム』のメーンスタッフとなっていく。このとき、ギサブローはショックを覚えた。手塚治虫がテレビアニメ用に考えたのが“リミッドアニメーション”というコマ数を省略した手法。東映動画ではディズニーアニメと同様の“フルアニメーション”を教わっていたギサブローの目にはひどく邪道に映った。ところが、完成した『鉄腕アトム』を観てさらに驚いた。コマ数が少ないものの、アトムは存分に暴れ回っていたのだ。従来の手法にとらわれることなかれ。その後のギサブローは『豆富小僧』(11)では3D立体アニメに挑むなど、時代や状況に応じた新しい作品づくりに挑んでいく。鉄腕アトムの目覚めは、ギサブローのアニメ職人としての覚醒が始まった瞬間でもあった。天才・手塚治虫と至高のアニメ職人・ギサブローは出会うべくして出会ったようだ。『鉄腕アトム』で大車輪の活躍を見せたギサブローは虫プロの子会社「アートフレッシュ」を後輩・出崎統らと設立し、『悟空の大冒険』(67)、『どろろ』(69)の総監督を務める。この頃、手塚治虫は「ギッちゃんみたいな人が、あと2人いてくれたらなぁ」とこぼしていたという。まさにギサブローは天才の片腕として機能していたのだ。
神様”手塚治虫(1928~1989)。ギサブロー
は手塚の作家性、革新性に強く影響を受けた。
だが、天才と至高の職人は『どろろ』の製作時に衝突してしまう。アニメ版『どろろ』のバイオレンスシーンがあまりに生々しく、スポンサー側が難色を示していた。手塚治虫は現場を任せていたギサブローに方向修正するよう諭すが、逆にギサブローは手塚の世界観を守ろうとする。後にギサブローは大人向け劇場アニメ『千夜一夜物語』(69)でエロティズム漂う名シーンを担当する。“国民的人気漫画家”手塚治虫の作家性を支える重要な部分であるグロテスクさやエロティズムを、誰よりも忠実にアニメーション表現していたのがギサブローだった。虫プロ経営者としての顔も持つ手塚治虫と師匠の薫陶を受け、アニメーターとして真っすぐに突き進もうとするギサブローの衝突は避けがたいものだった。自分から離れていくギサブローを、手塚治虫はどんな気持ちで見ていたのだろうか。
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