どっこい生きてる“マンガ界の最終兵器”~卯月妙子『人間仮免中』~
#本 #マンガ #コミック #コミック怪読流 #永山薫
本書はノンフィクションである。正確にはエッセイコミックと呼ぶべきかもしない。
プロローグは衝撃的だ。
「一日は一撃だ」
という寺山修司の『ロング・グッドバイ』がナレーションとして引用される中、虚ろな表情の卯月妙子が歩道橋へと向かう。「ぽー」「ぽー」「ぽー」がリフレインされる。
歩道橋にスタスタと上り、欄干に立ち、そのまま車道に向かって、顔面からダイヴする。
プロローグは第2章にあたる「人間仮免中 歩道橋バンジー編」へと続く。
第1章「人間仮免中」はバンジーの前日譚で、12年連れ添った夫と別れるところから話が始まる。統合失調症の卯月妙子が自殺するのではないかと危惧し続けた夫は、ついに神経症となってしまったのだ。
しかし、別れがあれば出会いもある。飲みに行った妙子の前に現れたのが、後に内縁の夫となるボビーだ。
下駄みたいな顔をした当時61歳。オーバー・ザ還暦。妙子とは二廻り以上、つまり親子ほど年の差がある。
卯月フィルター通してるから当然ちゃ当然だが、これがイイ男なのだ。とはいえ、只者ではない。堅気のサラリーマンで、昔気質の侠気溢れるオヤジ。若い頃には、民事介入であぶく銭を稼いだこともあれば、ヤクザとも付き合いがある。かんしゃく持ちで、それが原因で奥さんには逃げられてるし、酔うとセクハラ全開のエロジジイにもなる。しかし、卯月妙子一筋。一途である。
歩道橋ダイヴで顔面が崩壊し、かつての美貌がガタガタになってしまった妙子を変わらず愛し続ける。セックスもする。それによって卯月妙子は救われる。
本書の軸はボビーとの愛情生活である。その揺るぎない軸があるから、歩道橋ダイヴも、生還後の入院とリハビリと不自由な身体と執拗な幻覚も、日常の流れの中で読めてしまう。距離を置いて眺めれば深刻な地獄みたいな話なのに、笑えてしまう。
彼女は彼に無邪気に甘え、ダダをこね、ケンカし、仲直りする。愛が高じて、オマンコにボビーの名の刺青を入れる。気合いを入れて墨を入れるのではなく、自然と、気分で入れちゃうんである。背中には自殺した最初の夫の戒名を背負い、オマンコには内縁の夫の名前を刻む。単純にスゲェと言おう。覚悟の表明だろうとか、形を代えた自傷だとか理屈をこねても始まらない気がする。入れたいから入れた。子どもみたいな、ちびまる子みたいな絵がそう語っている。いや、そうとしか読めない。笑うしかない。
最初に書いたように絵はヘロヘロだ。
画力至上主義者ならば、目を背けたくなるようなヘタウマ絵である。
しかし、さらに驚いたのは、それが読む際の障害にはならないということだ。プロの漫画家が本気で「漫画」を描けば、多少の絵の崩れなんか関係なく、商品として通用するオモロイ漫画になってしまうのだから恐ろしい。
絵の崩れっぷりが、内容と絶妙に噛み合っている。
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