“映画祭監督”がド新人監督にインディーズ魂を伝授 処女作をめぐる熱きトーク60分一本勝負!
#映画 #くそガキの告白
小林 ボクのTwitterは若い人がよく見てくれているんだけど、実際に「映画を撮るぞ」と言う人は意外といないんです。それで、「やっちゃえ。やれば何とかなる」と。みんな背中を押してもらいたがっているんですよ。でも、映画界はパイが限られているから、わざわざライバルを育てるようなことは誰もやんないわけです。シナリオライターにしてもそう。ひとり増えれば、ひとり弾かれる世界ですから。狭き門です。昨年、映画製作のワークショップを受け持ったんだけど、映画の作り方って他人に教えてもらうもんじゃない。それでボクはいきなり1カットの映画を受講者全員に撮らせたんです。受講者の中には「映画の作り方を教えてもらえると思ったのに」とブーブー文句を言うヤツもいました。ボクは映画づくりでいちばん大切なこと、背中を押してあげるという行為をしたんだけどね(苦笑)。映画づくりって、協力者がたったひとりでもいればできるものなんです。いわば共犯者だね。ボクの場合は、それはプロデューサーではなく、役者だった。ボクのシナリオを役者が気に入ってくれたお陰で、ボクは映画を撮れた。共犯者は誰でもいいんです。でも、その誰かが、なかなかいない。
鈴木 そうですね、いませんね。「映画? 何をバカなことやってんだ」と言われてしまう。学生時代なら勢いで「やろうぜ!」みたいにできたけど、学校を卒業して30歳にもなると、そういう仲間がどんどんいなくなってしまう。「撮ればいいんだよ」と言ってくれる人がいなくなってしまいます。
映画監督志望のニート男(今野浩喜)が自分
だけのヒロイン(田代さやか)を見つけ、処女
作へと突っ走る。鈴木監督は借金で製作費を捻出
し、キャストの出演交渉も自分で進めた。
■ホテルの便せんに綴られたルコントからの手紙
──小林監督、完成した『くそガキの告白』を観ての感想は?
小林 『くそガキの告白』のチラシにコメントを書いたけど、その通りですよ。あまり期待していなかった(笑)。撮影するというのは知っていたけど、いつまで経っても完成しないし、完成披露の試写もないから、「あぁ、ダメだったんだな。お蔵入りだな」と思っていた(笑)。完成させるのに、すごく時間が掛かったね?
鈴木 はい、撮影は4月に済んでいたんです。でも、悩みながら編集作業を進めている間に、小林監督は『ギリギリの女たち』を8月に撮影して、10月の東京国際映画祭でもう上映していたので驚きました。『くそガキの告白』は「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の締め切りぎりぎりの11月に完成したんです。完成はしたけど、観たのはプロデューサーと編集者ぐらい。DVDを小林監督のご自宅に送っていいものか、ずいぶん迷いました(苦笑)。試写会の開き方も分からず、誰を呼べばいいのか見当がつかないまま、公開直前に2度やっただけですね。2度とも全然、集めることができませんでした。
──社交辞令ぬきで、『くそガキの告白』に厳しい指摘はありませんか?
小林 あんまりないですよ。面白いシーンなら、いっぱいあるけどね。やっぱり、作品に気持ちが入っているんですよ。やりたいことを全部やったなという感じがします。娯楽作品として上手くまとめているしね。ボクのデビュー作『クロージング・タイム』(96)は、42歳で初めて撮った作品だから想いが強すぎて、詰め込みすぎのホン(脚本)になってしまった。『クロージング・タイム』が「ゆうばり映画祭」で賞をもらった後、『髪結い屋の亭主』(90)のパトリス・ルコント監督が来日していて、講演会でルコントに「ボクのデビュー作です。観てください」と『クロージング・タイム』のビデオを渡したんです。数日後に配給会社経由でルコントからの手紙が届いた。フランス語が読めなかったので、評論家の山田宏一さんのところに持っていき、「何て書いてあるんですか? 読んでください」と(笑)。そうしたら、山田さんが「いいことが書いてありますよ」と手紙を読んでくれた。『デビュー作にありがちな詰め込みすぎで、まるで映画のカタログを見ているかのようだ。これからはその中の1つ1つのテーマを1本の映画にして、突き進みなさい』みたいなことが書いてあった。その点、『くそガキ』は詰め込みすぎになってないし、でも自分の想いは充分に入っている。まぁ、暑苦しいくらいに鈴木監督の想いが入っているけどさ(笑)。
鈴木 キャストが脚本を読んでくれて、より熱く演じてくれたように思います。居酒屋で主人公が大学時代の映画サークルのメンバーから責められるシーンは、小林監督とのTwitterでのやりとりを使わせてもらいました。「そんなんなら、映画やめちまえ」とか……(笑)。
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