毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』
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曲げることのない信念を持つ安田弁護士にとって、重大な事件があった。1980年に8人の死傷者を出した「新宿西口バス放火事件」だ。子どもを施設に預けて東京へ出稼ぎに来ていた丸山博文は、お盆にも子どもに会いに行けなかった罪悪感や福祉に対する後ろめたさから朝から酔っぱらい、停車中の路線バスにガソリンと火の点いた新聞紙を放り込んでしまう。「死にたい。むごいことをした」と悔やみ続ける丸山には死刑が求刑されたが、若手時代の安田弁護士は心神喪失状態にあったと訴え、無期懲役を勝ち取った。裁判に勝利し、安堵した安田弁護士だったが、事件はそれで終わりではなかった。獄中にいた丸山は自殺を遂げてしまう。安田弁護士は半年後に新聞記事でそのことを知る。裁判で勝っても、丸山の心の闇はずっと晴れることはなかったのだ。
戻って深夜3~4時まで仕事が続く。事務所
に寝泊まりし、睡眠時間は3時間。
マスコミを毛嫌いする安田弁護士から取材OKを取り付けるのに2年間を要したという東海テレビの齊藤ディレクターに企画・取材の経緯を聞いた。
齊藤 「2008年にドキュメンタリー番組『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』を作った際に、主任弁護士だった安田さんの存在に興味を持ったんです。あれだけバッシングされながらも、決して自分の信念を曲げない人。『平成ジレンマ』の戸塚宏校長にも通じるところがありますね。それで2年ほど前に懇親会の場で取材を打診したのですが、『ふんッ』と鼻先であしらわれました(苦笑)。『平成ジレンマ』を作りながらも、安田さんの取材をやりたいなと考え続けていたんです。それで、正式に企画書を作成して取材を申し込んだんですが、『俳優でもタレントでもないのに密着取材なんてありえないし、取材に対応している余裕もない』と断られました。一度は諦めたんですが、安田さんの周囲にいる方たちが、『安田さんの言動は一度きちんと映像として記録されたほうがいい』と協力してくれたんです。『安田さんひとりじゃなくて、4人くらいの弁護士を取り上げる企画だと話せば、安田さんは断りにくくなるはず。最悪、放送前に謝ればいい』とアドバイスされました。それで偽の企画書を渡し、『仕方ない。そこまでしつこく言うなら』と安田さんはOKしてくれたんです。偽の企画書で弁護士を騙してしまった(苦笑)」
ひと筋縄ではいかない死刑弁護人のドキュメンタリーを作るためには、きれいごとだけでは企画は前に進まなかった。また、取材のOKはもらったものの、安田弁護士の素顔を追うのは簡単ではなかった。
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