AKB48の強さは「メッセージ力」 総選挙を行う真の理由の裏に潜む“承認欲求”の真実(前編)
#AKB48
誕生日直後にそのメンバーが出演する公演の最後に行われる生誕祭では、両親や仲間のメンバーから手紙が届き、祝福された本人が1年の抱負と、将来の夢への決意、ファンへの感謝を述懐する(その具体例は、拙著『泣けるAKB48』<サイゾー>参照)。時に、ファンを爆笑させ、時に涙を流させるまでの感情の機微がそこにはある。それは、250人というファンの顔がわかる劇場で、何を言えば観客が反応し、何を話せば人の心に届くのかを日々、自らの肌で体感してきたからに相違ない。AKB48は、連日舞台に立ち、握手会をこなし、ファンの顔と名前を覚えながら、自らの肌でファンのリアクションを間近で見ながら成長する。人間関係が稀薄になった時代に、あえて濃密なフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを続けてきたのがAKB48の強みである。
加入したばかりの研究生は、自己紹介もおぼつかない場合もある。だが、先輩と同じ舞台に立ち、年間200回近い公演をこなしながら、舞台度胸をつけ、パフォーマンスはもちろんトークでも成長する。この公演というシステムを「大声ダイヤモンド」などの振り付けで知られる牧野アンナ氏は「発明」と語るほど、メンバーの成長に役立っているのだ。
生誕祭、総選挙、あるいは仲間のメンバーの卒業、公演の千秋楽などの儀式で、自身の思いのたけを語る機会が多いメンバーたちは、そうしてメッセージ力を培ってきた。そうして生まれた真摯な思いが多くのファンの心に刺さったのだ。そして、公演を通して学んだメッセージ力、運営がファンの意見を汲み取る姿勢、互いにぶつかり合いながら成長してきた各メンバーのハイコンテクストな物語性……それらが一極に集中したのがAKB48の総選挙だ。
■感謝、決意、覚悟、直訴、愛……総選挙から生まれたドラマ
2008年の「大声ダイヤモンド」(キングレコード)がオリコン週間3位を記録し、ヒットの兆しが見えたものの、その前年の2007年には出場した『紅白歌合戦』(NHK総合)には出演できなかったAKB48。
固定ファンはつかんだが、一般層への知名度はまだまだだった2009年に初めて企画されたのが、第1回の総選挙だった。初期メンバー・浦野一美(元・SDN48/現・渡り廊下走り隊7)の初選抜というドラマもありながら、衝撃を呼んだのが佐藤亜美菜の8位という順位だった。選抜未経験でほかのチームの公演にもアンダー(代役)として出演していた亜美菜は「私はテレビや雑誌で見るAKBの子たちみたいにキラキラできないから、貢献できてないと思っていて、でもこうやって選抜に入ることができて、本当にうれしいです」と涙ながらに告白。メディア出演は少なくとも、公演に誰よりも励んでいた彼女が報われ、総選挙はメンバーとファンの願望が成就する場であることを証明したのだった。
翌年の第2回総選挙では1位、2位のトップが逆転。“絶対的エース”だった前田敦子が2位となり、「私は1位という器ではないと思います」と積年の思いを吐露し、次回のリベンジを宣誓。大島優子は「背中を押してくださいとは言いません……ついてきてください!」という名台詞を残した。渡辺麻友が慟哭しながら語った「今のこの現状には満足していません!!」や、松井玲奈が「『1番が取りたい』じゃなくて、『お前が1位になれ!』と言われるような、そんな素敵な人になりたい」という言葉も彼女たちが背負う覚悟をより鮮明にした。
そして第3回総選挙では、壇上で秋元康氏に直訴するという“事件”が起きる。高柳明音が「私たちに公演をやらせてください!!」と懇願。オリジナル公演の開始が約1年半、遅れているチームKIIのリーダーである彼女が、メンバーの焦燥を代弁したのだった。
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