実在の事件を題材にした“命の授業”『先生を流産させる会』がついに劇場公開!
#映画
『先生を流産させる会』。性への嫌悪感が血の惨劇を呼ぶ。
先生を流産させる会。なんと扇情的で、挑発的なタイトルだろうか。タイトルからして、猛毒性を発している。1982年生まれの内藤瑛亮監督による上映時間62分の自主映画『先生を流産させる会』は、愛知県で起きた実在の事件をベースにしたもの。娘を殺された女性教師が、教え子に復讐するという過激な内容で大ヒットを記録した『告白』(10)が洗練された映像美で描かれていたのに対し、本作はインディペンデント映画らしい猥雑なエネルギーに満ちている。カナザワ映画祭2011に出品されて以降、「話題性に乗じたゲテモノ映画だ」「なぜ事件に脚色を加えたのか」など、一般公開前からネット上で激しいバッシングにさらされている作品だ。
実在の事件は2009年に愛知県の市立中学で起きている。30代の担任の女性教師に対して、中学1年の男子11人が“先生を流産させる会”を結成。席替え方法や部活動で注意され、「先生を困らせてやろう」という話が持ち上がったことが会を結成したきっかけだった。メンバーは妊娠中だった教師の椅子の背もたれのネジを緩めたり、給食の中にミョウバンを混入。女性教師が体調を崩すことはなかったが、給食への異物混入の事実が発覚したことから会の存在が分かった。学校側は生徒を呼んで指導を行い、保護者からの謝罪の申し入れもあったそうだ。事件が明るみになり、同校の校長は以下のようにコメントした。「個々にはいい子たちで最初は信じられず、仰々しいネーミングにも驚いた。ただ、軽いのりからエスカレートしたようで、計画的とまでは言えない。命の重さについて、より指導を徹底していきたい」。校長の生徒を守ろうという心情から発せられた“軽いのり”という言葉が、より波紋を呼んだ。
ミヅキ(小林香織)。圧倒的な存在感を放つ
彼女に、同級生は誰も逆らえない。
内藤監督は映画化にあたって、“先生を流産させる会”のメンバーを男子生徒から女子生徒に置き換えている。この脚色によって、本作はある地方都市で起きた事件の再現ドラマではなく、“生と死”をめぐるドストレートなドラマとして立ち上がることに成功した。自分自身が“女”になることに嫌悪感を抱く少女たちと、かつて“少女”だった大人の女との血なまぐさい葛藤のドラマとなったのだ。中盤から登場する保護者のキャラクター造形がモンスターペアレンツとしてステロタイプな印象を受けるものの、男なら躊躇しがちなディープなテーマに真正面から挑んだ内藤監督のインディペンデント・スピリットを評価したい。
バッシングの中には、未成年者が学校内で起こした問題を映画化することに対する抵抗もあるだろう。だが、人間の隠された一面を見つめ、製作者自身が返り血を浴びる覚悟でその暗黒面を暴くことも、“自由な表現が許された”映画が担わなくてはならない役割でもあるはずだ。5月24日、都内で教育関係者向け試写が行われた際の内藤監督のコメントを紹介しよう。
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