「ニュースからこぼれ落ちたものに人間性が宿る」福島でカメラを回す松林要樹のドキュメンタリー論
#映画 #インタビュー #東日本大震災
■走る馬から、花を見つめよ
松林監督のデビュー作『花と兵隊』は、自費でタイに渡りビルマ戦線の未帰還兵たちのその後を約3年間にわたって追った労作。口の重い未帰還兵の自宅に何度も通い、庭に建てられた慰霊塔の掃除を買って出るなどして関係性を結んでいき、原一男監督の伝説的ドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』(87)でも言及された“戦地でのカニバリズム”についての証言を聞き出すまでに至っている。『相馬看花』では、被災地の人たちと関係性を結ぶ難しさはなかったのだろうか?
松林 「誰も南相馬に入っていない状況のときに救援物資を届けたことで、最初から関係を結ぶことができたように思います。避難所に連れていってもらい、自己紹介させてもらったんです。“町にとって1000年に一度の大災害。記録に残してもらおう”と、逆に撮影を頼まれました。『花と兵隊』のときのような関係性を結ぶ難しさはなかった。いわば、ラッキーパンチの連続というか……。いや、被災者の方たちにカメラを向けて、ラッキーパンチという言い方はよくないですね。今回の題名は中国の故事『走馬看花(そうまかんか)』から付けたものです。走っている馬から花を見ても、うわべしか見たことにならないというのが本来の意味。でも、イラク取材中に亡くなったジャーナリストの橋田信介さんは『走っている馬の上からでも、花という大事なものは見落とさない』と解釈していました。とりあえず、とにかく現場に行って見ることが大事なんだということですよね。ボクらのような仕事をしている者は、伝聞じゃなくて自分の目で直接見ることが大切なんだと思います。『走馬看花』という言葉は、『311』を撮っているときにも頭に思い浮かんでいました。橋田さんが言っていた“まず現場に行ってみること”とはこういう状況のことを指すんだろうな、花を見落とさないようにしなきゃな、と考えていましたね」
常に提供することは無理。その日獲れた素材
を自分で捌いて出す屋台みたいなものです」
と笑う松林監督。
決して流暢ではないが、タイトルにまつわるくだりは松林監督の話しぶりに熱が篭る。ここまで聞いて、やはり『311』と『相馬看花』は繋がりのある作品だなと感じた。“走馬”のごとく『311』では車を走らせながらカメラを回した。でも、『相馬看花』では走る車を止めて、松林監督は現地の人たちの生活の中へ歩み寄っていった感がある。
松林 「そうですね、そこが『311』とのいちばんの違いでしょうね。寝泊まりさせてもらった避難所では、オニギリや菓子パンを食べきれないくらいいただきました。避難所では炊き出しの白米、布団、缶詰、カップ麺などは比較的早く届いたんです。でも、野菜や漬け物などのおかずがない状況。いつも、自宅で家族の作った手料理を食べていた年配の方たちには辛かったと思います。野菜不足のため、便秘で苦しんでいる人が多かったですね。菓子パンも食べきれないくらいもらって、仕方ないんで20キロ圏内に取り残されていた犬たちがたくさんいたんで菓子パンをあげたら、ガツガツ食べていました。そんな犬たちを見て、現場ってこういうことなんだなと思いましたね」
『花と兵隊』では現地の女性と結婚して家庭を持ち、異国を故郷として暮らすようになった未帰還兵たちの姿を追った。『相馬看花』では原発事故によって、長年暮らし続けてきた故郷を離れざるを得なくなった人々の、悲喜こもごもの素顔に迫っている。松林監督がカメラを通して見た“故郷”とは何だろうか。
松林 「故郷というか、生きている人たちが暮らす土地そのものについて、ボクは知りたいんです。ボクがドキュメンタリーを撮る上でのテーマというと大げさですが、人間がひとつの土地に根を張って生きていくということを、ボクはカメラで追いたいんです。『花と兵隊』『相馬看花』と、ボクの作品は“花”をモチーフにしていることが多い。植物も人間も、土地に根を張らないと生きていけないと思うんです。それが今回の原発事故では、行政から強制的に退去を命じられた。放射能の問題があるわけですが、根を下ろしていた土地を離れなければならないという辛い状況は、カメラで追っていても複雑な気持ちになります」
■製作費の捻出よりも、もっと大切な問題とは……
現在も南相馬に通い続け、1000年の伝統を持つ夏祭り・相馬野馬追の様子を記録している。
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