「ニュースからこぼれ落ちたものに人間性が宿る」福島でカメラを回す松林要樹のドキュメンタリー論
#映画 #インタビュー #東日本大震災
松林 「『311』の撮影から東京に戻った翌日の4月3日に、南相馬に向かいました。その日、友人が南相馬に救援物資を届けることになっていたので、便乗する形で同行したんです。『311』の撮影に出る前から決めていたことです。南相馬には救援物資をまず届けることを考えていたので、その時点では映画にすることは考えていませんでしたね。救援物資を届けた際に現地で立ち会ってくれたのが、南相馬市で市議会議員を務めている田中京子さん。田中さんが警戒地域内の見回りをするというので、ビデオカメラを持って一緒に回らせてもらったんです」
監督は原子力安全・保安院に問い合わせるが、
記者クラブに属さないフリーの記者は相手に
されない。
無人化した20キロ圏内の家々は窓ガラスが破られ、空き巣が押し入った形跡が残されていた。テレビで被災地の人々を励ますタレントのメッセージや公共CMが大量に流れていた時期に、現地では犯罪が横行していたという事実が『相馬看花』の冒頭で見せつけられる。テレビの報道番組でも度々オンエアされた松林監督のスクープ映像だ。その後も南相馬に滞在し、カメラを回し続けた松林監督だが、まだ作品にする意識はなかったという。では、映画にすることを考え出したのは、どういうきっかけだったのか?
松林 「避難勧告が出た後も、20キロ圏内にある自宅で暮らし続けていた粂さん夫婦に出会ったくらいから意識し始めました。テレビのニュースとして流す際に、すごく収まりが悪いなと。テレビ局側からは“まだ20キロ圏内に残っている人はいませんか?”と頼まれたんです。それは多分、20キロ圏内で避難できずにいるかわいそうな人を撮ってきてくれ、ということだったと思うんです。でも、87歳になる粂さんは、自宅で奥さんと一緒にニコニコと過ごしている。ボクが“何か必要なものはありませんか”と尋ねると、“お酒がほしい。できれば“白波”を一升瓶で”と答える(笑)。思わず笑ってしまうシーンですが、これはテレビではカットされてしまう場面だなぁと思ったんです。それに、避難せずに自宅に残っていることが知れ渡ると、粂さん夫婦にも迷惑がかかるなと思い、このときの映像はテレビ局側には出しませんでした」
思い出の写真。南相馬の小高神社での神前
挙式の様子。小高神社には東電関係者も原発
の安全祈願に訪れる。
粂さんが避難所に向かわなかったのは、体の不自由な奥さんのことを慮ってのこと。福島弁でとつとつと話す粂さんのしゃべる内容は聞き取りにくいが、長年連れ添い、お互いをいたわり合う夫婦の信頼関係がじんわりと伝わってくるシーンだ。確かに限られた秒数に編集しなければならないテレビのニュースでは、生かすのが難しい素材だろう。また、松林監督がその後、約束通りに一升瓶を抱えて粂さん宅を再訪し、笑顔で迎え入れられるという『311』では描かれなかった被写体とカメラを持つ人間との関係性も『相馬看花』では盛り込まれている。
松林 「映画にすることを、はっきりと意識し始めたのは、7月に入ったぐらいからです。6月30日、南相馬で一時帰宅が行われた様子が各局の報道番組で紹介されたと思いますが、ボクは田中さん夫婦が自宅に戻った際に家財道具を持ち出すかどうかで夫婦ゲンカを始めたところをカメラに収めたんです。普段の田中京子さんはご主人の久治さんを立てて、すごく仲のいい夫婦なんです。でも、そのときは重要書類以外のものまで持ち出そうとしている久治さんに向かって“お父さん、何やってんのッ!”と。田中さん夫婦からは、ケンカのシーンは恥ずかしいからカットしてくれと頼まれました(笑)。でも、ボクがどうしても映画を成立させる上で必要なシーンなんですと説明すると“本当はイヤなんですけど、仕方ないですね。事実は事実ですから”と理解してくれたんです。一時帰宅の最中に夫婦ゲンカが始まるなんて、まずテレビのニュースでは使われません。4~5年ほど前に、タイに滞在してテレビ局に提供する映像素材を撮るという仕事をしていたんですが、そのときも面白いけれどテレビには使えない素材をたくさん見てきました。ムダな部分のほうに、人間性って滲み出るもんだなと思ったんです。自分で映画を撮るときは、テレビのニュースから省かれる部分こそ使おうと考えていたんです」
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