自由社会に順応できない“脱北者”の過酷な現状 無垢なる季節との決別『ムサン日記 白い犬』
#映画 #パンドラ映画館
(パク・ジョンボム)。韓国のソウルで暮らし始めるが、
誰とも心を開くことができない。
幸せになりたい。でも、自分だけ幸せになっても、それは本当の幸せなのだろうか。パク・ジョンボム監督の長編デビュー作『ムサン日記 白い犬』のラストシーンが、観る者の心に突き刺さる。個性派俳優ヤン・イクチュンが製作・脚本・監督・主演した『息もできない』(08)と同様に、パク監督が製作・脚本・主演も兼ねた本作は、韓国だけでなく、東京フィルメックスほか世界各国の映画祭で受賞ラッシュとなっている。テーマは恵まれた環境で生活を送ることができるようになった人間が、疎遠になったかつての仲間や亡くなった友人に対して感じる心の痛みだ。自分なりに努力して手にした幸せなのだから、もっと胸を張っていいはずなのに、実際に新しい生活に身を置いてみると、心の中に違和感が生じる。心の中に生じたその違和感のことを、人は“うしろめたさ”や“センス・オブ・ギルティー”などと呼ぶ。『ムサン日記』では命からがら北朝鮮から脱北してきた若者が、物質に溢れた韓国での新しい生活に順応できずに、もがき苦しむ姿が描かれる。
なくてはいけない。不器用なスンチョルは、
単純なポスター貼りもうまくできない。
本作の主人公スンチョルは“脱北者”という特殊な立場だが、彼が抱える悩みは誰もが身に覚えのある感情だろう。高校デビュー、大学デビュー、社会人デビュー、公園デビューなど、日本では新しいコミュニティーへ入っていくことをデビューと称する。様々なデビューに伴う高揚感が堪らない。だが、よりヒエラルヒーの高いグループと交流するようになり、かつての仲間たちとは段々と疎遠になっていく。昔の自分を知るかつての仲間と距離が生じることに最初のうちは抵抗を感じていたが、心のどこかでホッとしている自分がいることにも気づく。新しく居心地のいいコミュニティーに同化していくにつれ、そんな些細な感情はすっかり忘れてしまう。いや、忘れたふりをする。ところが『ムサン日記』の主人公スンチョルは、頑なに自分のアイデンティティーを引きずり続ける。その頑固は、周囲の人間を不愉快にさせるほどだ。
ソウルで暮らし始めても、スンチョル(パク・ジョンボム)は時代錯誤なオカッパヘアで、ビンボーくさい服をずっと着ている。まるで、「自分は脱北者でございます」と主張しているようなものだ。口ベタで不器用なため、スンチョルは定職に就けず、わずかな賃金しかもらえないポスター貼りのアルバイトさえ満足にできない。一方、スンチョルと同じアパートで暮らす脱北仲間のギョンチョル(チン・ヨンウク)は、積極的に韓国社会に溶け込み、調子よく金儲けしている。脱北者である2人の生活の面倒を看ている監視役のパク刑事(パク監督の実父)は、もっと身なりをこぎれいにするように口を酸っぱくして注意するが、スンチョルは耳を貸そうとしない。
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