“田原伝説”再び――田原総一朗はマイケル・ムーアの師匠だった!?
#田原総一朗 #水道橋博士
田原 他局にはできないテーマってなんだかわかりますか? 危険なものです。学生運動を取材するときに、僕らは機動隊やデモ隊の後ろではなく、その間に入って撮影していたんです。学生が投げた火炎瓶を足蹴にし、催涙弾で目をやられながら撮影を行っていましたね。
博士 『私は現在を歌う ~藤圭子 6月の風景』で田原さんが追っている藤圭子も、時代状況としてタブーな存在だったんです。当時はナベプロが全盛の時代。インディーズの演歌歌手がチャートのトップを走り続けるなんて、ありえないことだった。しかも、しゃべらない、貧困の中に生まれたという設定がある彼女を、田原さんはカメラの前でしゃべらせた。他局にはできない、芸能界の掟破りをしていたんです。
田原 『バリケードの中のジャズ ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』は、山下洋輔が「ピアノを弾きながら死にたい」と言っていたことが始まりでした。彼がピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうとしたんです。
――本気で殺そうとしたんですか!?
田原 そう。だから、あの作品は失敗だった。彼が殺されたら、僕は当然逮捕されます。でも、それでいいんです。
博士 田原さんは「塀の上を走るのがドキュメンタリーだ」と定義していますからね。逮捕され刑務所に入ることは覚悟の上で撮影しているんです。ギリギリの人に取材しながら、自らもギリギリの状況に追い込まれていく。田原ドキュメンタリーは、そうやって撮影されていたんです。
■12チャンネルとニコニコ動画の類似点
取材同日に開催されたDVD発売イベントには、歌手の岡村靖幸をはじめ、多くのファンが詰めかけた。20歳の頃からファンだったという日本テレビ土屋敏男プロデューサーも登壇し、テレビ局の垣根を越えた異色の対談に会場は沸いた。しかし、来場者の姿を見ていると、コアなドキュメンタリーファンというよりも、「何か面白いものを求めている若者たち」といういでたちの人々ばかり。いったい、どうして田原作品は時代を越えてその鋭い視線を突き付けられるのだろうか?
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