“田原伝説”再び――田原総一朗はマイケル・ムーアの師匠だった!?
#田原総一朗 #水道橋博士
かつて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターとして数々の秀逸なドキュメンタリー番組を制作していた田原総一朗。近年、田原がディレクターを務めた番組のフィルムがテレビ東京の倉庫から大量に発掘され、『田原総一朗の遺言』としてBSジャパンで放映。その高いクオリティーは、視聴者の話題をさらい、DVDとなって発売されるまでになっている。いったい、田原ドキュメンタリーの真髄とはなんだったのか? そして現在、田原は自分の作品をどのように見つめているのだろうか? 番組で相方を務める浅草キッド・水道橋博士とともに、そのドキュメンタリー史に残る偉大な仕事を振り返ってもらった。
■山下洋輔を殺そうとした
――まず、かなり年の離れたお2人ですが、水道橋博士が田原さんに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか?
水道橋博士(以下、博士) 10年前に雑誌の企画で対談をしたのが初対面でした。ちょうどマイケル・ムーアがアカデミー賞を受賞した頃で、彼が名作ドキュメンタリーとして知られる『ゆきゆきて、神軍』の原一男に影響を受けたと語っていたんです。その原一男が、僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)の“都市伝説”の中で「日本で最初のAV男優は田原総一朗だった」と紹介した作品の制作現場にいた。つまり、僕の中で「田原さんはマイケル・ムーアの師匠だ」という推論ができたんです。
――田原さんは学生運動から連合赤軍、芸能人やポルノ女優に至るまで、さまざまなテーマや被写体を記録しています。これらのテーマに共通する部分はあるのでしょうか?
田原総一朗(以下、田原) NHKやTBS、日本テレビにはできないものをやろうと思っていたんです。当時、東京12チャンネルは“テレビ番外地”だった。視聴者が12チャンネルまでダイヤルを回さなかったんですね。制作費も他局のほうが圧倒的でした。当時、僕らの番組の制作費の3分の1はフィルム代だったんですが、NHKや他局ではフィルム代は制作費のうちにもカウントされません。僕らは他局の10分の1くらいの制作費で番組を作っていたんですね。クルーも他局がアシスタントを含め6~7人で行動するのに、12チャンネルはカメラマンとディレクターの僕2人だけでした。
――制作費でも注目度でも人員でも及ばないから、他局にはできないようなテーマで挑むしかなかった。
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