ポスト・前田敦子のAKB48
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3月25日、さいたまスーパーアリーナで行われた3日連続コンサートの最終日、AKB48の前田敦子が同グループからの「卒業」を宣言した。創設時からAKB48の「不動のセンター」として活躍してきた前田の「卒業」は、一大ニュースとして全国を駆け巡った。
予感はあった。2011年に放映されたメンバー総出演のドラマ『マジすか学園2』(テレビ東京)の最終回は、カリスマ的存在として学園に君臨する前田敦子が警察に逮捕されてひとり去っていくのをほかのメンバーが見送るというシーンで幕を閉じた。この物語は、20歳を超えた前田たち初期主力メンバーの「卒業」の日が近いことを、ファンたちに否応なく意識させた。また、今年2月に発売された新曲「GIVE ME FIVE!」は「卒業」というテーマが前面に押し出されている。「卒業とは出口じゃなく入り口」という秋元康がこの曲に与えた歌詞は、時期的に考えても前田の「卒業」を意識したものであり、そして同シングル(Aタイプ)のカップリング曲「NEW SHIP」は、新世代にフィーチャーした編成と内容に仕上がっていた。コンサート2日目にはSKE48のエース・松井珠理奈のAKB48・チームKへの期間限定「移籍」が発表された。これも今考えるとこの上なく明確な「伏線」だった。
前田敦子は会場で「後輩のためにも自分は卒業する」旨の発言をしているが、AKB48は前田の卒業と同時にひとつの節目を迎え、本格的な「世代交代」のフェイズに、それも極めて自覚的に入っていくであろうことが予測される。
AKB48とは、言ってみれば宝塚やプロスポーツリーグのシステムのようなものだ。スター(選手)が卒業してもシステムは残り、世代交代によって新しいスターが生まれていかなければならない。逆を言えば、「どこにでもいそうな」女の子を目一杯輝かせてスターに育てるシステムがAKB48だともいえる。しかし、前田敦子という創設時からの「不動のセンター」が卒業した穴を誰も埋められないのだとすると、このシステムには欠陥があることになる。前田などの個人のカリスマ的なポピュラリティに依存し、彼女らが卒業した途端に成立しなくなるのならそれは、システムではなく彼女ら個々人が優れていただけにすぎないことになる。それではAKB48というユニークかつ複雑なシステムを構築し、運営している意味がない。前田の卒業した欠落を次世代が、新しいセンターが埋めてはじめてAKB48というシステムは完成する。宝塚に、プロ野球に、Jリーグに匹敵する存在になるのだ。
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