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日刊サイゾー トップ > カルチャー  > 25人が語る福島の現実
分断線を乗り越えるために

“ふるさとをあきらめない”詩人が耳を傾ける、25人の福島の現実

 松田文は37歳、いわき在住の介護士であり、仕事中に震災に直面した。毎時23マイクロシーベルトの放射線量を恐れ、彼女の勤める作業所は一時東京に避難した。しかし、東京で避難生活を送っていた彼女の気持ちは休まらなかった。

「受ける側というか、被災者の『被』っていう立場でただ何もせずにいる状況はどうなのかな、と。なんかこう、自分の中で擦り切れてくる部分があって。人として失っていく何かが、尊厳っていうか、なんて表現すればいいんだろう」(本文より)

 そして、原発事故をきっかけに国やメディアに対しての信頼を失った彼女は、自分が子どもを授かることも「やっぱり厳しいかな」と思っているという。

「遺伝子に傷がつくんじゃないかとか。生んだ子どもが健康だとしても、次の世代、その次の世代を考えた場合、やっぱり何か影響が出てくるんじゃないかとか」(本文より)

 そして、「個人的には私は福島、郡山はもう人が住むべきではないと思っている」という率直な気持ちを明かす。活字なので、その語り口はわからないものの、おそらくそこにはさまざまな感情が渦巻いているはずだ。

 和合は、「福島県民は福島に残らず『避難したほうがいい』」という、ある文学者の言葉を読み、苛立ったという。その言葉はあたかも、避難する者/しない者の間にきっぱりと線を引き、福島に残ることが無知であると語っているかのように感じたからだ。しかし、詩人はただ苛立っているだけではない。その苛立ちを祈りに変えて、新たな言葉を紡ぎ上げる。あとがきで、和合はこう語る。

「ここに込められているインタビューの集合体に、いつしか私の震災の日々の思考を、他者の言葉であらゆる限りに込めたいと願うようになった。自分ではなく誰かに語ってもらったものに<宿る>何かこそが真実だと確信した」

 その意味で、本書のインタビューは、和合にとっての新たな「作品」である。

 「被災者ではない」我々は、いとも容易く「被災者の気持ちを考えろ」というような言葉を発してしまう。しかし、それは「被災者」として分断線を引かれた人々を一様にしかとらえられていない。「被災者」などという人間は存在しない。そこには「被災した人間」が存在しているのだ。そんな分断線を乗り越えるために、本書は刊行された。分断線を乗り越えた先には、とても単純ではあるものの、時として忘れがちな「福島の人々」の姿が浮かび上がってくる。

●わごう・りょういち
1968年福島生まれ。福島市在住。詩人。高校の国語教師。『AFTER』(思潮社)で中原中也賞受賞。『地球頭脳詩篇』(思潮社)で晩翠賞受賞。2011年3月11日、伊達市にある学校で被災。避難所で数日過ごした後、自宅からTwitterで詩を発信し続け大反響を呼ぶ。近著に、『詩の礫』(徳間書店)、『詩の邂逅』(朝日新聞出版)、『詩ノ黙礼』(新潮社)など。Twitterは今も続けられている。

最終更新:2012/04/17 10:00
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