“ふるさとをあきらめない”詩人が耳を傾ける、25人の福島の現実
#本 #東日本大震災
2011年10月17日、作家・高橋源一郎はTwitter上で展開する「午前0時の小説ラジオ」で、このようにツイートした。
「その分断線は誰が引いたのか。ぼくたちが自分の手で引いたのだ。その、いったん引かれた分断線は、二度と消えることがないのだろうか。分断線を越えること、分断線を消すことは不可能なのだろうか。自分が引いた分断線から、ぼくたちは出ることができないのだろうか」
東日本大震災は、日本中のほとんどすべての人々に深い断絶をもたらした。東日本/西日本、東北/首都圏、原発推進/脱原発、そして、被災者か否か。詩人・和合良一の新刊『ふるさとをあきらめない—フクシマ、25人の証言—』(新潮社)は、福島の「被災者」たちへのインタビューで構成されている。酪農家、アナウンサー、カフェ経営者、主婦、パチンコ店、それぞれ立場の違う25人が、和合に自身の震災の経験を語る。
現在では3万人あまりが県外に流出してしまったものの、震災直前に「福島県民」と呼ばれる人々は200万人を数えた。そのほとんど全員が、あの日を境に「被災者」と呼ばれるようになった。しかし、広大な面積を持つ福島県には、一言では言い表すことができないほど多様な被災者たちが存在する。津波で家を流された者、原発事故により避難生活を強いられている者、風評被害に苦しめられている農家、さまざまなレイヤーによって「福島の被災者」という総体は織りなされているのだ。和合は、そんな違いを持った彼らの声に丹念に耳を傾ける。「3月11日午後2時46分を、どのように受け止めたのか」「どんな生き方をしていきたいのか」という2つの大きな質問を軸に、対話は進んでいく。
福島が直面する「原発事故」に対しても、そのスタンスはさまざまだ。「子どもを守るために」と避難をした者もいる。あるいは「新しい環境は子どものストレスになるから」と福島にとどまった者もいる。「原発は即時撤廃させなければならない」と息巻く被災者も、「仕方がないのではないか」とあきらめ顔の被災者もいる。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事